あらゆる境界を越えていく!早川書房編集者・一ノ瀬翔太が実践するSF思考Photo by ASAMI MAKURA

『SFプロトタイピング』で、SFをビジネスに接続する手法を世に問い、世界の名だたる起業家に影響を与えたニール・スティーヴンスンのサイバーパンクSF『スノウ・クラッシュ』を復刊させて大ヒット。数々の話題書を手掛ける早川書房の編集者・一ノ瀬翔太氏は、SF思考をナチュラルに実践していた! 『SF思考』編著者の藤本敦也氏が、独自の越境的思考について聞いた。(構成/フリーライター 小林直美、ダイヤモンド社 音なぎ省一郎)

30年後によみがえった『スノウ・クラッシュ』

藤本 今年1月、ニール・スティーヴンスンの傑作SF『スノウ・クラッシュ』が、一ノ瀬さんの手で新版として復刊されました。『SF思考』でも「ビジネスに影響を与えたSF作品」として何度も言及している超重要作品なのに長く絶版で残念でしたが、こうして多くの人に読まれるようになって、私も感慨深いです。

一ノ瀬 復刊のきっかけは、まさに『SF思考』です。第1章に、宮本道人さんがまとめた表「SFを重視している著名人」(図)が掲載されていますよね。昨年7月、これをツイッターで紹介したらかなり拡散されて「読みたい!」という声がたくさん寄せられました。

あらゆる境界を越えていく!早川書房編集者・一ノ瀬翔太が実践するSF思考SFを重視している著名人 『SF思考』より
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 その後、まもなくフェイスブック(現メタ・プラットフォームズ)CEOのマーク・ザッカーバーグ氏が「メタバース企業になる」と宣言。『スノウ・クラッシュ』は「メタバース」という概念を初めて示した小説としてさらに注目され、「復刊のタイミングが来た」と判断しました。

藤本 いわゆるSFファンとは違う層に売れているのでしょうか。

一ノ瀬 やはり、他のSFとはちょっと売れ方が違いました。エンジニアとか、技術寄りのビジネスパーソンからの反響が大きく、丸の内や渋谷のようなIT企業が集積するエリアの書店で明らかによく動いています。

藤本 プロモーションでも「ビジネス」は意識しましたか。

一ノ瀬 意識はしていますが、あえて「ビジネスにもSFにも寄せ過ぎない」ように気を付けました。狭いジャンルに押し込めず、「世界文学」というか「巨大な想像力の塊」として提示したかったんです。スマートニュースの創業者でありCEOの鈴木健さんに解説をお願いした意図もそこにありました。鈴木さん自身がビジネスパーソンであると同時に、『なめらかな社会とその敵』という思想書の著者という複数の領域をまたぐ方ですから。

藤本 ターゲットを意識しつつ狙い過ぎない、というのは面白いですね。

一ノ瀬 その方が、『SFプロトタイピング』や『SF思考』でいわんとしていることがきちんと伝わると思ったんですよ。昨年以来、SFがあちこちでビジネスの文脈で語られるようになり、「SFをビジネスの道具にするな」という反発も招くようになりました。『スノウ・クラッシュ』の復刊は、そういうネガティブな反応に対する1つの回答でもあります。

『スノウ・クラッシュ』がビジネスに与えた影響は確かに大きい。ただし、それを単純に「ビジネス側がSFの発想を利用した」と捉えるのは、ちょっと違うと思います。鈴木さんも解説で指摘していましたが、ひょっとすると、この作品が読者の脳をハックしてメタバースを現実化させたといった方が現実に近いのかもしれない。「人間がSFを使っている」というより、むしろ「人間がSFに使われている」のではないか――。そもそもSFプロトタイピングって、ビジネスの予定調和を破壊するものです。そんな一面をぜひ伝えたいと思いました。

藤本 確かに。良いSFには破壊と創造という両側面があるし、『スノウ・クラッシュ』には「人間をハックする」くらいのパワーがあったからこそ、これだけの影響力を持ったと思います。

一ノ瀬 原書の刊行から30年を経て、再び世の中に広がったのもウイルスっぽいですよね。かつてこの小説にハックされた人が「メタバース」を現実化した。すると小説がまたよみがえって新たに人々をハックし、違った未来を生み出す。そうイメージするとすごく面白いです。