日本にも「社会起業家」が現れ始めた
渡邊奈々(以下、渡邊):今回のお話をいただいて、日本にも「新しい世代」がやっと生まれ始めたと思いました。平尾さんのほかにも、今年からアショカサポートを申し出てくださった方も、平尾さんのようなお立場の方です。現在44歳で、30代で財政的な成功を収め、今は根本的な問題の解決に興味がある。彼と話すと、お金儲けにそれほど興味がなく、どうやって新しい世界をつくっていくかに興味があることを感じます。経済的な余裕ができたことで、地球レベルのスケールで考える余裕ができたのかも知れません。
グローバルではグーグルの創業者セルゲイ・ブリン氏や、eBayの創業者ピエール・オミダイア氏と初代プレジデントのジェフ・スコール氏などが、アショカのビジョンの理解者、共鳴者で支援者でもあります。eBayは、90年代に「ドットコムバブル」を引き起こした引き金として知られています。昨年は、マッケンジー・スコット(ジェフ・ベゾスの元妻)からもアショカのしごとに対して、1000万ドルの支援をいただきました。
日本では寄付という文化と習慣がないので資金集めに苦労していることをグローバルのオフィスは知っているので、グローバルオフィスからは、彼らのような若いアントレプレナーは、ないものを想像する能力に長け理想を現実にした経験があるので、アショカが理解者できる、だから日本でも若いアントレプレナーの中に共鳴者がいるはずとずっと言われてきました。実際、11年前に日本で活動をスタートするにあたって、最初に支援を申し出てくださったのも、当時20代の起業家でした。しかし、彼は例外中の例外であったらしく、そのあとは誰も現れませんでした。
それが、最近日本の空気が変わってきたことを感じます。私が、社会を変える人たちのインタビューを始めた2000年頃から日本人の意識の変遷を見守ってきた者としては、ついにブレンデッドバリューを深く理解する若い世代が出現し始めたことに感動しています。
平尾:ありがとうございます。とても嬉しいです。
渡邊:いや、本当に。アショカの仲間入りをしてくださいよ。
平尾:ブリンさんと一緒だなんておこがましいですが、ぜひお願いします。
渡邊:いや、そんなことありません。2013年に設立された韓国のアショカコリアでは、カカオの創業者ブライアン・キムさんなど、時代の先端的なスピリットに敏感な若いアントレプレナーが先頭に立ってアショカとコラボしていますよ。
――渡邊さんのご著書『チェンジメーカー 社会起業家が世の中を変える』が刊行されたのは2005年です。この本を若いころに読んだ人が、平尾さんの世代になっていますね。
平尾:ちょうど大学4年生でしたね。
渡邊:最近もそういうことがありましたよ。その人は40歳くらいで、成功度をはかる尺度を、これまでのGDPからGDWにしようとしている人です。GDWの「W」はWell beingです。彼も若いころに『チェンジメーカー』を読んだとおっしゃっていました。
平尾:石川善樹さん(予防医学研究者)ですか?
渡邊:そうそう。やっぱり知っているんですね。社会を変えていくのは、その世代ですよね。煎じ詰めると、その世代の人たちは根本的に物を買うためのお金に興味はないですよね。そのために稼いでいるのではなく、新しい社会をつくっていこうという気概が感じられますよね。
ASHOKA JAPAN創設者&代表/写真家
慶應義塾大学文学部英文学科卒。1980年ニューヨークにて写真家としてスタート。SHISEIDO InternationalやLANCOMEなどの広告写真を手がける一方、仏VOGUE, 米TIME、米SONY MUSICなどでファッションやポートレートを撮影。87年アメリカンフォトグラファー誌より年度賞を受賞。1998年より商業写真から自分の作品づくりに方向を変え、個展、グループ展を開催。
1998年東京への里帰りの折、1980年半ばから7年余り続いた経済繁栄期が崩れたあとの後遺症とも言える社会現象を目の当たりにする。毎日のように報道される自殺者や引きこもり者の夥しい数。電車の中でも町なかでも目に入る思いつめたような暗い表情の人たち。ちょうどその年に「社会をより良くする」と「財政的な利益を生む」という二つの要素をもつ新しい働き方+生き方である「ソーシャルアントレプレナシップ」がニューヨークの最先端で注目を集めていることを知る。この新しい働き方が、親世代のロールモデルを失くした日本の若者の指針になるかもしれないという直感にもとずいて社会をより良く変える仕事をしている人たちのインタビューを始める。2000年~2005年に約135人をインタビューしPEN誌に紹介する。うち一部を2005年『チェンジメーカー 社会起業家が世の中を変える』、2007年『社会起業家という仕事 チェンジメーカー2』として上梓。2009年米ワシントンのASHOKAの門を叩き日本拠点の可能性を打診。2011年の発足に導いた。