3月に『起業家の思考法 「別解力」で圧倒的成果を生む問題発見・解決・実践の技法』を出版した株式会社じげん代表取締役社長の平尾丈氏。25歳で社長、30歳でマザーズ上場、35歳で東証一部へ上場し、創業以来12期連続で増収増益を達成した気鋭の起業家だ。
『起業家の思考法』の最後に、次のような文言が書かれている。
「本書の著者印税は、社会起業家の発掘・支援のほか、若者チェンジメーカーが育つ環境づくりに取り組む一般社団法人アショカ・ジャパン、世界61ヵ国のネットワークを活かし、新しい時代に必要な資質能力に目を向けた教員養成を主事業に据えて公教育の変革に挑む認定NPO法人Teach For Japanをはじめとする団体に寄付いたします」
平尾氏は、なぜこれらの団体に寄付をしようと考えたのか。
本の出版が縁で知り合ったアショカ・ジャパンの代表理事を務める渡邊奈々氏、Teach For Japanの代表理事を務める中原健聡氏との鼎談から、その真意を読み取っていただきたい。一般のビジネスパーソンにも社会課題の解決は無視できない時代になった。そのような時代、私たちはどのようなスタンスで社会課題に向き合えばいいのか。鼎談から感じ取っていただければ幸いだ。
連載第2回は、社会起業家になれる資質と、その資質を持った若者を探すことの難しさから、その基本となる発掘方法にも話が広がった。
(写真 株式会社じげん・津田咲 構成 新田匡央)
違和感を自ら変えようとする若者を探している
渡邊奈々(以下、渡邊):私たちアショカは、無理にではなく社会課題を解決したいという深い想いを少しでも持っているティーンエイジャーを見つけ出し、彼らが、これはおかしいから変えたいという想いを自由に試すことのできる一年間の環境をつくっています。「ユースヴェンチャー(Youth Venture)」というプログラムです。
1970年代末から、アショカは社会を根本的に変える人を発掘し、その人たちの取り組みが拡大し、深まっていくように、さまざまな形で支援をしています。必要な場合は生活費を供出したり、財政サポーターの前で発表の場をつくったり、他のチェンジメーカーと繋いだり、ハイクラスのコーチングを織り込んだり、できることは何でもやります。
アンケート調査によると、彼らの約80%は幼いころに何か小さな変化を起こした経験があるという結果が出ています。学校のゴミの出し方をこう変えたほうがいい、本の貸し出しのやり方が効率的ではない。小さくても、人から言われたことではなく、自分がおかしいと思ったことを変えようと、自分でアクションを起こした経験が子どもの頃に合ったということを発見しました。
とはいえ、そういうひとりの天才的な若者がいたということではなく、周りの親、きょうだい、教師などが、批判したり介入したりせず、温かく見守る環境があったことが共通点です。
「そんなことをする時間があるなら勉強しなさい」
「受験には関係ないでしょ」
そういうことを言わないでください。
「へえ、そうなの。で、何するの。じゃあやってみたら良いね!」
そんなふうに心から温かい言葉がかけられるか。物事が変わる瞬間は、本人だけでなく周囲の環境も重要な役割を果たすからです。
そのためのプログラムとして、アショカは「ユースベンチャー(Youth Venture)」という取り組みを行っています。12歳から20歳を対象に、「これはおかしい」という違和感や気づきを行動に移し、少しずつでも社会を変えたいと本気で思っている若者を発掘・支援するプログラムです。私たちは、そういう可能性を秘めた若者を、血眼で探しているんですよ。日本の高校生10万人に一人の割合です。なかなかいないので、あまりにもたいへんで、サーチチームの士気が下がることもあります。
――どうやって探すのですか?
渡邊:口コミやイベントや高校生イノベーターの周りにいる仲間の紹介が多いですね。イベントで会った子を私が連れてきたこともあります。7、8年前に大分のAPUに講演に行った時ウズベキスタンの留学生を見つけ、先生たちに旅費を集めていただき、東京の審査会に連れてきたこともあります。荒削りでいい。でも、これは本当に嫌だ、変えねばという気持ちが強ければいい。なぜなら、気持ちが強くないと、続かないからです。ちょっと流行っているからやってみようという気持ちでは、容易く挫けてしまいます。
その気持ちはパッション、やる気などさまざまな言葉で置き換えられますが、それだけは絶対に教えられないんですよ。だからこそ、パッションを持った人を探し出し、アショカがデザインした1年間の環境を与えるのです。
アショカのスタッフは、「メンター」とか「アドバイザー」といった少し上から若者を見る立場はとりません。私たち大人が、謙遜な態度で彼らに接することが大切だと思っています。「話し相手」にはなり、頭と心を空にして何時間でも彼らの言いたいことに耳を傾けますがジャッジをしません。こういうことは、良いとか悪いとか、正しいとか間違いだとかいうことではないですから。それに「こうやってみたら」「同じようなことをやっている人がいるから紹介するよ」というアドバイスも絶対にしません。方向性がずれていたり、目指していることと今やっていることが矛盾していたら、その点を質問する。質問されると、自分で食い違っていたことに気づくからです。あとはその気づきに基づいて、本人が内省し修正するだけです。
1年間、その環境にいると、同期に10人ぐらいの仲間ができます。それぞれ違う問題を抱えているとはいえ、「これはおかしい」「何とか変えたい」と思う強い気持ちがあるのが共通点です。分野が違う仲間のコミュニティができ、コミュニケーションが始まる。何かを変えようとしている人は、だいたい孤立しているからです。学校でも変わり者と言われ、本人も話す相手がいないから抑え込んでしまう。その抑え込んだエネルギーを解放し、心ゆくまで話せる仲間をつくる環境を整えているのです。
――強い気持ちを持っている人の見極めは、どのようにされるのですか。
渡邊:難しいですよ。だからしょっちゅう間違えます。3ヵ月から4ヵ月に一度行う「審査パネル」では、さまざまな見方を持った大人が質問します。取り組みに関するものばかりではなく、その人の人間性を知るための質問もします。この11年間に47回の審査会をしてきましたが、毎回多くの学びがあります。
「子どものころ、お母さんとどういう関係だったか」
「いちばん思い出に残っていることは何か」
そんな質問です。彼女や彼が何か言っても、それに対して絶対に評価を下しません。それを繰り返すと、どんどん内面が引き出されていきます。本人の内省を助けるための質問をします。
アショカがフェローを選ぶときには、平均15時間の面接を行います。おとなしく生きてきた人が、急に35歳になって何かを変える行動に出ることはまずあり得ません。その人の人生を辿りパターンを見ていくと、彼・彼女が目指す変革をやり切るかどうかが見えてきます。
ASHOKA JAPAN創設者&代表/写真家
慶應義塾大学文学部英文学科卒。1980年ニューヨークにて写真家としてスタート。SHISEIDO InternationalやLANCOMEなどの広告写真を手がける一方、仏VOGUE, 米TIME、米SONY MUSICなどでファッションやポートレートを撮影。87年アメリカンフォトグラファー誌より年度賞を受賞。1998年より商業写真から自分の作品づくりに方向を変え、個展、グループ展を開催。
1998年東京への里帰りの折、1980年半ばから7年余り続いた経済繁栄期が崩れたあとの後遺症とも言える社会現象を目の当たりにする。毎日のように報道される自殺者や引きこもり者の夥しい数。電車の中でも町なかでも目に入る思いつめたような暗い表情の人たち。ちょうどその年に「社会をより良くする」と「財政的な利益を生む」という二つの要素をもつ新しい働き方+生き方である「ソーシャルアントレプレナシップ」がニューヨークの最先端で注目を集めていることを知る。この新しい働き方が、親世代のロールモデルを失くした日本の若者の指針になるかもしれないという直感にもとずいて社会をより良く変える仕事をしている人たちのインタビューを始める。2000年~2005年に約135人をインタビューしPEN誌に紹介する。うち一部を2005年『チェンジメーカー 社会起業家が世の中を変える』、2007年『社会起業家という仕事 チェンジメーカー2』として上梓。2009年米ワシントンのASHOKAの門を叩き日本拠点の可能性を打診。2011年の発足に導いた。