「感情」と「理性」を切り離せないもどかしさ
大人になっても、人を求める衝動は、変わらなかった。
むしろ、大学受験や、就職活動を経たぶん、私の承認欲求は増していた。私はもっと人に愛されたいと思うようになり、もっと人気者になりたいと思うようになった。
でも人気者になりたいという感情を露骨に出すのはためらわれた。人の顔色をうかがってばかりの人間のまわりに人はよってこないと、それまでの経験からわかっていたからだ。
だから別に多くの人に好かれようとは思っていないという風を装った。自分を好きでいてくれる人だけ大切にすればいいんだと思い込もうとした。
でもみんなから愛されたいという感情は、なかなか簡単に払拭できるものではない。結局はそういう私の心の奥底にある欲求が顔に出てしまって、やっぱり人はよってこなかった。
就職活動はそんな私のコンプレックスを残酷に刺激した。ほとんどの面接官は、私をつまらなそうな目で見た。きっと私なんかありふれていて、一緒に働きたいなんて思ってもらえていないんだろうと思った。自己アピールをするたびに、私は嘘をついているような気がした。どこかまったく別の人間の話をしているような、知らない誰かが私の口をつかってしゃべっているような。
集団面接などは一番嫌いだった。自分の隣の人が面接官を笑わせたり、食いつかせていたりすると、ひどく焦った。みんなが隣のこの子に興味を持っている。私も何か面白いことを言わなきゃ、と。
隣の人が失敗することを願った。頼むから、面接官を喜ばせないで。楽しませないで。面白いことを言わないで。つまらない答えばかり言って。
そしてもちろん、そうやってネガティブな気持ちで受けた面接は落ちた。
いやな汗が背中を流れて、私は気持ちが悪くなった。同じ真っ黒の同じ形のスーツを来ているはずなのに、どうしてこうも違うんだろう。どうして私は人から好かれないんだろう。
好かれたかった。みんなに好かれたかった。その「みんな」が誰をさしているかなんてわからなかったけれど、とにかく、好かれたいと思った。
いくら、たくさんの人に好かれる必要はないと言われようと、数人の友人を大切にすればいいと言われようと、無理だった。わかっている。そんなこと、頭ではわかっている。
でも好かれたいんだ。自分でも馬鹿みたいだと思う。こんなことばかり考える自分を気持ちが悪いと思う。嫌いだと思う。でも仕方ない。だって、経験したことがないから。みんなに愛されたことがないから。一度くらい、それを望むことの、何が悪いというのだろう。
ほしかった。人に好かれるという才能がほしかった。
でもやっぱり、私のまわりに人の輪ができることはなかった。