自分がここにいてもいい証明がほしい
だから、文章を書くという手段を手に入れたとき、私は救われたと思った。
それまで自分に特筆すべき才能もないうえに、人に好かれることもないつまらない人間だと思っていた。
その不安な気持ちや悩みを正直に文章にして整理すると、気持ちが落ち着いた。それをブログに書いた。はじめはもちろん怖かった。自分の思いが人に受け入れてもらえる保証もなかったし、不特定多数の人が見るネット上に自分の思いを吐露するなど、ひどく勇気のいることだった。
でも素直に書いた。私のコンプレックスに、共感してくれる人がいた。
わかる、わかる、自分もそうだと言ってくれる人がいた。
私の文章を好きだと、もっと読みたいと、言ってくれる人がいた。
嬉しかった。本当に嬉しかった。
私はもうこれだけで、十分かもしれないと思った。
私は好かれなくても、私のまわりに人の輪はできなくても、私の文章なら、人が好いてくれる可能性がある。
愛されるのは、人気者になるのは、もう諦めよう。自分のまわりに人がいなくても生きていく決心をしよう。そばにいてくれている人を、精一杯、大切にしよう。
私は愛されなくてもいい。私は、人の中心にいなくてもいい。部屋のはじっこにいるような、誰からも気がつかれない存在でもいい。
でも、せめて、せめて私の文章だけは、文章くらいは、人に愛されるものであってほしい。そうこだわってもいいんじゃないか。私の文章が人に愛される存在でありたいと思うのは、いけないことだろうか。
それは不純な芸術だと人は言うだろうか。芸術ですらないと言うだろうか。そんなものは文章とは呼ばないし、作品とも呼べないと言うだろうか。
言うかもしれない。人に好かれたくて書く文章なんて、汚いと言われるかもしれない。そんなもの認めないと言われるかもしれない。
でもどうしようもないんだ。だって自分には、愛される才能もなければ、他人を自分自身よりも愛せる余裕もない。もちろんいつかは人を愛せるような人になりたい。でも今はまだ、私は承認欲求の奴隷から解放されることはないだろう。
人に愛されないというのは、好かれないというのは、さびしい。まわりに人が集まってこない自分は、さびしい。
私は、自分がここにいてもいい証明がほしいのだ。安心したいのだ。私という存在が生きていてもいい証を、何かで記したいのだ。
もしかしたら、世の芸術家たちだって、作家たちだって、そう思って作品を残しているのかもしれない。アーティストだけじゃない。ビジネスを起こす人だって、政治家だって、スポーツ選手だって、普通のサラリーマンだって、そうだ。
愛されたい、必要とされたいという想いをなにかで表現したいから、誰かに受け入れてほしいから、がんばって仕事で成果をあげようとしたり、何かの作品をつくったりするんじゃないのか?
愛される才能を持っている人は少ない。でも努力で手に入れられるようなものでもない。だから、何のかたちでもいいから、とにかく自分のなかから生まれた「何か」を代わりにつくるために、それが愛されるものになるように、頑張ろうと思うんじゃないんだろうか。
つくることのモチベーションというのは本来、そういうことなんじゃないかと思う。
偉大な芸術家や作家と同じ土俵でものごとを考えるなんて厚かましいとも思うのだけれど、「つくりたい」という根本的な気持ちや、衝動は、有名も無名も、社会的地位があるもないも関係ないような気がして──というか、そう、思いたくて。もしかすると、天才には天才なりの「つくりたい」の理由があるのかもしれないけれど、どんな人だって、根本は一緒なんだと思い込むことは、私を元気付けてくれるから、私はそう信じることにしている。
何かをつくる人は、数少ない、愛される才能を持った人になれないかわりに、愛される何かをつくりたいと、生み出したいと、そう思うのだと思う。
人に好かれたくて書く文章なんて邪道だと、そう言われようが、なんだ。好かれたくて書く文章なんて芸術ではないと言われるなら、私の文章が誰にも芸術として認められなくても、私は構わない。
そんなものは知らない。私は嘘をつかない。正直な気持ちを、文章を書く。
人に愛されたいというのが、私の正直な気持ちだ。なら、そう思う自分を受け入れて、自分のかわりに、少しでも遠くまでこの文章が届くように、祈るしか、ないんじゃないのか。
それが私の生き方で、いいんじゃないのか。
そう思うことでようやく私は、川代紗生という人間じたいが人気者になることを、あきらめる決心ができるような気がする。
もしも今、こうして苦しんでいることを文章にあらわしているから、私の文章を読んでもらえるのだとしたら、私は、自分の悩みなんて一生解決できなくていいと思うくらい、もしかすると、書くことに没頭してしまっているのかもしれない。
解決できない「生きづらさ」を抱えたまま、それでも生き続けるために
私はぼんやりと、自分が死んだあとのことを想像する。
不慮の事故でも、突発的な病気でもなく、寿命が尽きて、死んだときのことを想像する。
きっとその頃には私の母も父も、祖父母も、恩師も亡くなっていることだろう。もしかすると、同年代の友人たちもすでにいなくなっているかもしれない。
私の葬式にはきっと、私の子どもと、数人の親戚がくるくらいで、静かに執り行われるだろう。
きっと花も少なくて、遺影も小さくて、自宅で静かにはじまって、静かに終わるだろう。
みっともなく、子どもみたいに泣く人もいないかもしれない。うるさいバアさんがようやく死んだか、と思う人もいるかもしれない。
葬式なんてまるでなかったみたいに、みんなどんちゃん騒ぎして寿司を食べたり、飲んだりして、すぐに私のことなんか忘れてしまうかもしれない。
でも、とそのうちの誰かが言って。
でもあいつの書く文章って、ちょっと面白かったよな。
そうだね、あのバアさんじたいは好きになれなかったけど、文章は、結構好きだったな。
なんて、そんな風に誰かが言ってくれるなら、私は、私自身のことは、いくらでも、忘れられていい。
だけどふいに、私の文章が、押入れの中からほこりをかぶって出てきて。
古いけど、案外好きだな、これ。
そんな風にときどき、私の文章が誰かに読んでもらえるような。
いつか私のことも何も知らない、ずっと遠くの誰かが、偶然に私の書いた文章を読んで、これ好きだなあ、と思ってもらえるなら──。
だめだ。
全然だめだ。こんなの。
嘘だ。詭弁だ。欺瞞だ。
だめだ、そんなにかっこいいことは書けない。私はまだ、どうしても、川代紗生という人間が忘れられてもいいなんて本気で思えない。
忘れられたくない。忘れられたくないよ。
やっぱり私は、みんなから惜しまれるような人生を歩みたい。
「紗生がいてくれてよかった」って、そう言ってもらえるような、私が死んだときに、そこまで大勢の人じゃなくても、たくさんの人が、親しかった人たちや家族が、悲しい悲しいと、立ち直れないと思って泣いてくれるような人生をおくりたい。
あなたがこの世に生まれてきてくれてよかったと、私と出会ってくれてありがとうと、そう思ってもらえるような。
私が死んでも、せめて私の文章が残っていてよかったと、そう言ってもらえるような、素敵な、愛情のある人になりたい。自分だけじゃなく、人に愛情を注げる人になりたい。それでいて、私の文章も、私が死んだあともずっと、読まれ続けて欲しい。
矛盾しているのも、無いものねだりなのも、考えすぎてぐちゃぐちゃなのも、欲張り過ぎているのも、わかっている。自分勝手で、ずるい。
でも仕方ないんだ。私はみんなからたくさん愛されたくて、私の文章もたくさん愛して欲しい、そういう人間だから。今はまだ、がむしゃらに必死に生きている今はまだ、欲張りでも、バチは当たらないと思う。
今際の際に、とても幸せだったと、面白い人にたくさん会えて、大切にしてもらってよかったと。
川代紗生として生まれてきて本当によかったと、そう思いながら生きて、そして死んでいきたい。
生きるという字の入ったこの名に、恥じないように。
ああ、やっぱり私はまだまだ、あきらめが悪いみたいだ。
1992年、東京都生まれ。早稲田大学国際教養学部卒。
2014年からWEB天狼院書店で書き始めたブログ「川代ノート」が人気を得る。
「福岡天狼院」店長時代にレシピを考案したカフェメニュー「元彼が好きだったバターチキンカレー」がヒットし、天狼院書店の看板メニューに。
メニュー告知用に書いた記事がバズを起こし、2021年2月、テレビ朝日系『激レアさんを連れてきた。』に取り上げられた。
現在はフリーランスライターとしても活動中。
『私の居場所が見つからない。』(ダイヤモンド社)がデビュー作。