猫はなぜ高いところから落ちても足から着地できるのか? 科学者は何百年も昔から、猫の宙返りに心惹かれ、物理、光学、数学、神経科学、ロボティクスなどのアプローチからその驚くべき謎を探究してきた。「ネコひねり問題」を解き明かすとともに、猫をめぐる科学者たちの真摯かつ愉快な研究エピソードの数々を紹介する『「ネコひねり問題」を超一流の科学者たちが全力で考えてみた』が発刊された。
養老孟司氏(解剖学者)「猫にまつわる挿話もとても面白い。苦手な人でも物理を勉強したくなるだろう。」、円城塔氏(作家)「夏目漱石がもし本書を読んでいたならば、『吾輩は猫である』作中の水島寒月は、「首縊りの力学」にならべて「ネコひねり問題」を講じただろう。」、吉川浩満氏(文筆家)「猫の宙返りから科学史が見える! こんな本ほかにある?」と絶賛された、本書の内容の一部を紹介します。
発明家で物理学者
猫との触れ合いからひらめきを、さらには天職を得た物理学者もいる。中でももっとも有名なのが、人類の進歩を信じた発明家で物理学者のニコラ・テスラ(一八五六~一九四三)である。
テスラは発電機の研究をおこなったことから、「電光を操る者」と呼ばれている。また、現在も使われている交流(AC)電力システムを開発して推進した。
そしてこの研究に資金を提供したウェスティングハウス電気製造会社とともに、アメリカで直流(DC)電力システムを推進するトーマス・エディソンを相手にビジネスをめぐるいさかいを繰り広げた。
さらに、一八九四年にレントゲンよりも一年早くX線を発見したものの、一八九五年三月に火災でその実験記録を失ってしまった。電波や無線送電の実験もおこない、ソケットに挿していない電球を強い電気火花で光らせる装置、いわゆるテスラコイルを発明した。
知性の片鱗
誰もが口を揃えて言うように、テスラはかなり幼い頃から知性の片鱗を見せはじめた。しかし人に秀でた数々の分野の中から電気の研究を選んだきっかけは、本人に言わせると猫だった。
一九三九年にテスラは、在米ユーゴスラヴィア大使の若い娘ポーラ・フォティッチに宛てた手紙の中で、子ども時代に過ごしたユーゴスラヴィアの家の説明とともに、飼っていた猫について次のように語っている([1])。
しかし私は誰よりも幸せ者で、世界一美しい猫、気高いマカクがとめどない喜びを与えてくれました。私とマカクとの愛情を十分にお伝えできればよいのですが。
私たちは持ちつ持たれつの関係でした。私がどこに行こうが、マカクは付いてきました。お互いに愛していたし、私のことを守りたかったからです。
奇妙な体験
ここまでは単にペットが大好きな子どもの話だ。しかしここから急に科学的な話に変わっていく。
ここで、いまでも忘れられないある奇妙な体験についてお話ししなければなりません。私たちの家は海抜およそ五〇〇メートルにあって、冬はたいてい乾燥していました。
しかしときにアドリア海から暖かい風が長時間吹きつづけ、雪が融けて洪水が発生し、多くの財産や人命が失われます。激しく逆巻く川が瓦礫を押し流し、途中にある固定されていないものをことごとくもぎ取っていく恐ろしい光景が何度も見られました。
ある日、冷たい空気がいつになく乾燥していました。雪の上を歩くと足跡がくっきりと残り、雪玉を何かに投げつけると、角砂糖をナイフで切ったかのようにパッと光が飛び散りました。
夕暮れになってマカクの背中を撫でていると、ある奇跡が起こり、私は驚きで言葉を失いました。マカクの背中が一面光り出し、私の手からシャワーのように火花が出て、その音が家じゅうに響き渡ったのです。
静電気との出会い
テスラ少年はこのとき初めて、静電気という現象に気づいたのだ。私を含め多くの子どもも、静電気を通じて物理世界の不思議さにいざなわれるものだ。
父はかなり博学でどんな質問にも答えることができました。しかしそんな父にとっても、こんな現象は初めてでした。父はせいぜいこう答えるしかありませんでした。「えーと、電気に違いない。嵐のときに木々のあいだから見えるのと同じだ」
哲学的な思考のはじまり
母は目を輝かせていました。そして「猫と遊んじゃだめ。火が出るかもしれないわ」と言いました。しかし私はぼんやりと考えていました。自然って巨大な猫みたいなものなんだろうか?
もしそうだとしたら、誰がその背中を撫でているんだろう? 神しかありえない、と私は思いました。こうして私は三歳にしてすでに哲学的な思考をめぐらせたのです。
最初に目にしたこの現象にも茫然としましたが、さらにすごいことが待ち受けていました。辺りが暗くなってきたので、すぐにろうそくに火を付けました。
すると部屋の中を数歩歩いたマカクが、まるで濡れた地面を歩いてきたかのように足を振り動かしました。私はマカクから目が離せなくなりました。
これは本当に起きていることなんだろうか? それとも錯覚だろうか? 目を見開いた私は、マカクの身体が聖人の光輪のような後光に取り囲まれているのをはっきりと見ました。
少年は考え続ける
この不思議な夜が私の子どもじみた想像力にどんな影響を与えたのか、けっして語り尽くすことはできません。私は来る日も来る日も「電気って何だろう」と自分に問いかけましたが、答えは見つかりませんでした。
それから八〇年経ったいまでも同じ疑問を問いかけていますが、答えは出ません。あまりにも大勢いる疑似科学者の中には、「俺なら答えられる」と言ってくる人もいるかもしれませんが、信じられません。
疑似科学者の誰かが知っているのなら私も知っているはずだし、私のほうが知っている可能性は高いはずです。私のほうが実験室での実験も実際の経験も多いし、生まれてこのかた三世代にも相当する科学研究に携わっているのですから。
アインシュタインとテスラ
テスラが生涯取り組んだこの疑問は、アインシュタインのものに驚くほど近い。アインシュタインは一九五一年、「光量子」に関する五〇年におよぶ思索を振り返って、いまだにそれが何なのか自分には分かっていないのだと気づいた。
友人への手紙には、「自分は分かっている」と言っている人はそう思い込んでいるだけだと書いている。アインシュタインが光量子と称したものはいまでは光子と呼ばれていて、光の粒子のことを指す。
アインシュタインは一九〇五年に光電効果のメカニズムを説明するために光子の概念を導入し、その功績で一九二一年にノーベル物理学賞を受賞した。
アインシュタインとテスラの言葉からは、物理学の哲学的側面に関するある重要なポイントが浮かび上がってくる。物理学では数式や観察を通じて「物事がどのように作用するか」はとてもうまく説明できるが、「なぜそのように作用するか」は必ずしも分からないということだ。
テスラもアインシュタインも、自らの研究から数々の深遠な疑問が浮かび上がってきて、その答えに近づくことすらできていないのに気づいたのだ。
(本原稿は、グレゴリー・J・グバー著『「ネコひねり問題」を超一流の科学者たちが全力で考えてみた』〈水谷淳訳〉を抜粋・編集したものです)
【参考文献】
[1] “A Story of Youth Told by Age: Dedicated to Miss Pola Fotich, by Its Author Nikola Tesla,” in Tesla: Master of Lightning.