言語や創造性をはじめとして、意識は生物としての人間らしさの根源にあり、種としての成功に大きく貢献したと言われてきた。なぜ意識=人間の成功の鍵なのか、それはどのように成り立っているのか? これまで数十年にわたって、多くの哲学者や認知科学者は「人間の意識の問題は解決不可能」と結論を棚上げしてきた。その謎に、世界で最も論文を引用されている科学者の一人である南カリフォルニア大学教授のアントニオ・ダマシオが、あえて専門用語を抑えて明快な解説を試みたのが『ダマシオ教授の教養としての「意識」――機械が到達できない最後の人間性』(ダイヤモンド社刊)だ。ダマシオ教授は、神経科学、心理学、哲学、ロボット工学分野に影響力が強く、感情、意思決定および意識の理解について、重要な貢献をしてきた。さまざまな角度の最先端の洞察を通じて、いま「意識の秘密」が明かされる。あなたの感情、知性、心、認識、そして意識は、どのようにかかわりあっているのだろうか。(訳:千葉敏生)
意識的体験が生まれるまで
感情は、生物に自分自身の生命の体験を与える。
具体的に言うと、感情は、その所有者たる生物に対して、自分が生きることにどれくらい成功しているのか、という相対的な評価を与えるのだ。これは、快/不快、強い/弱い、といった「質」の形式をとる自然な成績評価だ。これは、まぎれもなく貴重で画期的な情報であり、「存在」の段階で立ち止まっている生物では手に入れようのない種類の情報といえるだろう。
当然ながら、感情は、「自己」の創造に貢献する重要な要素だ。自己とは、その生物の状態によって命を吹き込まれ、身体という枠組み(筋骨格構造から成る枠組み)の内部に固定されていて、視覚や聴覚といった感覚系が提供する視点によって方向づけられる心的プロセスのことだ。
存在と感情が構造化され、機能しはじめると、第三の要素である「認識」を構成する知性を養い、拡張することができるようになる。
感情は、身体内部の生命の状態に関する知識を私たちに与え、即座に、その知識を意識的なものに変える。これはきわめて重要で根本的なプロセスだが、恩知らずなことに、私たちはそのことにほとんど気づかない。それとは別の種類の認識、つまり視覚、聴覚、身体感覚、味覚、嗅覚といった感覚系が記憶の力を借りて構築する怒濤のような認識に、注意を奪われてしまうからだ。
感覚情報に基づいて構築されるマップやイメージは、それと関連して常に存在する感情と並んで、最も豊富で多様な心の構成要素を成す。多くの場合は、これらが心的プロセスを支配することになる。
面白いことに、それぞれの感覚系は、それ自体では意識的な体験を伴わない。たとえば、視覚系、つまり人間の網膜、視覚経路、視覚皮質は、外界のマップをつくり出し、それぞれの明確な視覚的イメージを生成するのだが、それだけでそうしたイメージが私たち自身のイメージ、つまり私たちの生体の内部で生じたイメージだと自動的に宣言されることはありえない。また、それらのイメージが私たち自身の存在と結び付けられることも、意識されることもない。
存在、感情、認識にかかわる3種類の処理の連携した機能によって初めて、そのイメージを私たちの生体と結び付けられるようになる。文字どおり、イメージを私たちの生体へと参照し、その内部に位置づけることができるようになるのだ。そこまできてやっと、体験なるものが生まれる。
この、重要ながらも日の目を見ない生理的なステップに続くものは、驚異としか言いようがない。いったん体験が記憶され始めると、感情と意識を持つ生物は、多少なりとも包括的な自分自身の生命の歴史を保持できるようになる。それは、他者や周囲の環境との相互作用の歴史といえる。簡単に言えば、個々の生物の内部で送られた個々の生(せい)の歴史であり、これこそが人間性を支える骨格にほかならないのだ。