2015年の発売以降、今でも多くの人に読まれ続けている『ありがとうの神様』。本書は、小林正観さんの40年間に及ぶ研究のなかで、いちばん伝えたかったことをまとめた「ベスト・メッセージ集」だ。あらゆる悩みを解決する「ありがとう」の秘訣が1冊にまとめられていて、読者からの大きな反響を呼んでいる。この連載では、本書のエッセンスの一部をお伝えしていく。
「傲慢な人」と「謙虚な人」
おもしろいことに、「頼まれごと」の3つにひとつは有料です。
有料の「頼まれごと」がきたときに、「好きでやっているので、お金をもらう必要はありません」と言って、受け取らない人がいます。このような人を「傲慢な人」といいます。
なぜ「傲慢」なのかというと、「自分の手元にあるお金は、自分のもの」と思っているからです。
一方で、「ありがとうございます」と言って受け取る人を、「謙虚な人」といいます。
お金の持ち主は誰かと言うと、神様だったり、宇宙だったり、全人類だったり、地球だったりします。「私」ではありません。
だから「ありがとうございます」「預からせていただきます」と言うのが、正しい。
お金は「自分のもの」ではありません。ただ、通り過ぎていくだけです。頼まれごとに対して金額を提示されたときは、「ありがとうございます」と言って頭を下げ、「どのようにお金を使うか」を考えて生きていく。そうすれば、そのお金は生きたお金になります。
江戸時代に池大雅という文人画家がいました。
この人は、東山(京都府)に住んでいたのですが、頼まれた絵を1枚も断ったことがなかった。全部描いたそうです。
絵を頼んだ人は、絵が描き終わると取りに来る。そして、「ありがとうございました」と言って、玄関先に吊り下げられた「ざる」の中にお金を入れて帰りました。
その絵の代金として、お客さまがいくら払ったのか、池大雅ご夫妻は知らなかったといいます。
一方、池大雅ご夫妻が味噌、お米、醤油の配達を商人に頼むと、商人は帰りがけに、「ざる」の中から代金を持っていったそうです。
この話を知ったとき、私は大きな衝撃を受けました。
「頼まれごとをする」ことが人生のすべてであるとわかってはいたものの、池大雅のような生活には踏み切れていなかったからです。
そこで、「池大雅的な生活を実際にしてみたら、どうなるだろうか」を知りたくて、私は身を委ねることにしました。
どうやってお金を稼ぐか、どうやって収入を上げるか、どうやって生活をするかは考えないで、「頼まれごとをすべて受ける」と決めたのです。
私は、何も考えず、ひたすら頼まれごとをやり続けました。
その結果、いろいろなところから、それなりの収入をいただいたのですが、ある程度お金が貯まったとき、私の前に4人の方があらわれました。
その方たちは、そのときたまたまお金に困っている状態だったのですが、4人の金額を合計すると、なんと、そのときに私がいただいていた収入と同じ金額だったのです。
振り込まれた金額と、4人に必要な金額がぴったり一致したのですから、私は「この人たちに使いなさい」ということだと解釈し、4人にお金を渡しました。
その後、少したってから、ある金額が私の口座に振り込まれました。
すると、また別の人があらわれて、「お金に困っている」と言います。不思議なことに、今度もまた、振り込まれた金額と、その人に必要な金額が同じだったのです。私は彼に、その金額を渡しました。
「どうしたら売上が上がるのか」「どうしたらお客さまが増えるのか」「どうしたら利益を確保できるのか」を考えるのではなく、「どうしたら喜ばれる存在になれるか」だけを考えるようにしたら、お金の入り方が変わってきた実感があります。
どうも神様は、「喜ばれる存在になろう」と決めた人を、放ってはおかないみたいです。