頭のいい人は、「遅く考える」。遅く考える人は、自身の思考そのものに注意を払い、丁寧に思考を進められる。間違える可能性を減らし、より良いアイデアを生む想像力や、創造性を発揮できるのだ。この、意識的にゆっくり考えることを「遅考」(ちこう)と呼び、それを使いこなす方法を紹介する『遅考術――じっくりトコトン考え抜くための「10のレッスン」』が発刊された。
この本では、52の問題と対話形式で思考力を鍛えなおし、じっくり深く考えるための「考える型」が身につけられる。「深くじっくり考えられない」「いつまでも、同じことばかり考え続けてしまう」という悩みを解決するために生まれた本書。この連載では、その内容の一部や、著者の植原亮氏の書き下ろし記事を紹介します。

遅考術Photo: Adobe Stock

否定についてあらためて考えてみよう

 普段、私たちは何気なく否定をしているが、実はこれはなかなか扱いが難しい。

「A」を否定すると「Aではない」「Aということはない」となるが、日常的な言葉づかいをしていると、否定にはしばしば非難の要素が混入する

 つまり「Aではない」が「Aじゃダメだ」「Aではいけない」を意味するものとして捉えられてしまうのである。

 そうした非難の要素を排除し、純粋な否定だけを取り出そうとするとどうなるか。

 答えはこうだ。Aという主張を取り上げて「Aだと言うと間違いになる」ということこそ、Aを否定することなのである。「間違いになる」という表現に非難の意図を読み取らないように注意しよう。

 それは単に「事実とは合っていない」「本当ではない」くらいの意味でしかない(ただし、これらは否定を説明するのに「ない」という否定を意味する言葉を用いてしまっているけれども)。

何を否定しているか、細かく確認する

 さて、Aの否定、すなわち「Aではない」とか「Aだと言うと間違いになる」については、さらにきめ細かく、どこが間違いなのかという点まで踏み込んで述べられる

 たとえば、Aを「早杉は昨年富士山に登った」とし、その否定である「早杉は昨年富士山に登った、ということはない」を考えてみよう。

 このとき、「早杉が昨年登ったのは富士山ではない」「昨年富士山に登ったのは早杉ではない」「早杉が富士山に登ったのは昨年ではない」という具合に、Aの構成要素のどこを否定するかによっていくつかのパターンで詳しく述べることができるわけだ(※注)。

 最後にやや技術的になるが、否定には、日常表現への言いかえに関していくつか注意すべき点もある。ここでは「すべて」と「ある・いる(存在する)」の否定を取り上げてざっと触れておく。

1.「すべて」を否定する(いわゆる部分否定)
A「すべての双子はそっくりである」
Aの否定「すべての双子がそっくりだということはない」
日常的な表現への言いかえると……
「双子はそっくりではないこともある」
「そっくりではない双子もいる」

2.「ある・いる(存在する)」を否定する(いわゆる全否定)
A「クマには白いものがいる(白いクマもいる)」
Aの否定「クマには白いものがいる(白いクマもいる)ということはない」
日常的な表現へ言いかえると……
「クマには白いものはいない(白いクマはいない)」
「あらゆるクマは白くはない」

 このように、普段何気なく使っている「否定」も、ゆっくり考えることで、さまざまな側面が見えてくる。それが意識できるようになれば、いっそう丁寧に思考することにつながるのだ。

※注 ここまでについて、詳しくは野矢茂樹『入門! 論理学』、中央公論新社、中公新書、2006年、第2章を参照。

(本稿は、植原亮著『遅考術――じっくりトコトン考え抜くための10のレッスン』を再構成したものです)

植原 亮(うえはら・りょう)

1978年埼玉県に生まれる。2008年東京大学大学院総合文化研究科博士課程単位取得退学。博士(学術、2011年)。現在、関西大学総合情報学部教授。専門は科学哲学だが、理論的な考察だけでなく、それを応用した教育実践や著述活動にも積極的に取り組んでいる。
主な著書に『思考力改善ドリル』(勁草書房、2020年)、『自然主義入門』(勁草書房、2017年)、『実在論と知識の自然化』(勁草書房、2013年)、『生命倫理と医療倫理 第3版』(共著、金芳堂、2014年)、『道徳の神経哲学』(共著、新曜社、2012年)、『脳神経科学リテラシー』(共著、勁草書房、2010年)、『脳神経倫理学の展望』(共著、勁草書房、2008年)など。訳書にT・クレイン『心の哲学』(勁草書房、2010年)、P・S・チャーチランド『脳がつくる倫理』(共訳、化学同人、2013年)などがある。