今回は、野沢直子を悩ます「様々な現象」について、です。
人気絶頂の中、日本でのすべての芸能活動を休止し、渡米してから約30年。その生き方と圧倒的な個性で注目を集めてきた野沢直子さんが、還暦をまえにして「60歳からの生き方」について語ったエッセイ集『老いてきたけど、まぁ~いっか。』が発売とともに話題になっています。「人生の最終章を思いきり楽しむための、野沢直子流『老いとの向き合い方』」について、本連載では紹介していきます。
見た目と中身の両方の劣化のダブルパンチ
さて、いよいよ『中身の劣化』問題についてである。
『見た目の劣化』問題で老いてきたと自覚し始めて軽い衝撃を受けているところに、日に日に物忘れが酷くなってくるなどの脳の退化に気付いて、自分に起きていることは見た目と中身の両方の劣化のダブルパンチなのだということを実感するのではないだろうか。
ここ数年の物忘れの酷さには、本当に驚く。コーヒーを入れようと、コーヒーメーカーに水だけ入れて、コーヒーの粉自体を入れ忘れて、熱いお湯だけできあがる。キッチンへと走っていって、キッチンに来てなんの用事でキッチンに来たのか思い出せなくて立ちすくむ。誰かに会っても、その人の名前が全然思い出せないなどなど。
『あ、あれもやらなきゃ』と、ふと思い立って別のことをしてしまうという現象について
あと厄介なのは、何かをしている最中に『あ、あれもやらなきゃ』とふと思い立って別のことをしてしまうという現象についてである。
例えば朝食の用意をしておいて、皿の横にフォークを置き、そのたったの五秒後に『あ、携帯どこだっけ?』などと思って携帯を探したり、そういった別のことをしてしまうと五秒前にフォークを置いたのを忘れて、『あ、フォーク出さなくちゃ』と思いもう一本のフォークをいそいそと持って座って、皿横に置いてあるフォーク、今手に持っているのと、二本のフォークを見てがっくりする。
右目にコンタクトを入れたあと、洗面所にいるからということで『あ、歯磨き粉の買い置き、まだあったっけ?』と思いつき、ついつい洗面所の棚の歯磨き粉の買い置きを確認して「よし、あった」なんてやっていると、十秒前に右目にコンタクトを入れたこともすっかり忘れて、また右目にコンタクトを入れてしまってぎゃーとなる。
単に、色々と忘れるというのもあるが、何かをやっている最中に『あ、あれもやらなきゃ』とふと別の事柄を思い出し、その別のことをやってしまうともう十秒前の元々やっていたことを忘れてしまうという恐ろしくて面倒くさいこの現象にしばし立ちすくむ。
何かやってる最中に別のことを急に思い出す、これが多い。集中力が低下しているということなのだろうか。
若い頃なら、何かをやっている時に別の何かを思い出して、そちらの作業にスライドしたとしても、すぐに元の作業に問題なく戻れた。だが、今はだめだ。
別な作業にスライドした日には元の作業をすっかり忘れる有様なので、この『別のことを思い出す』現象には注意しようと思うのだが、今日も今日とて別のことを思い出して、元にやっていたこと迷子になっている。
おそらくはやはり集中力の低下ということなのだろうが、それにしてもこの記憶の扉が急に勝手なタイミングでばたんばたん開いてしまうような感じ、そのタイミングが自由すぎて本当に嫌になる。
勝手に予測して不安になるこの先回り機能は必要ないと思っているのに
髪の毛が自由に天井に向かって立ち上がってきたかと思ったら、今度は記憶の扉も自由に開くようになって、みんな自由すぎて困る。
自分の身体なのに、各部署でもうこんなに勝手に自由にやられては、統率できない。こんなことが頻繁に起こると、統率する気も失せてもう面倒くさくなってくる。記憶の扉に関しては、肝心な時には扉が急に閉まって、思い出したいことは思い出せないという不便さもある。
物を忘れるという面では脳が退化していると思うのだが、逆に厄介なのが、長く生きてきているせいか、誰かに何かを言われたり何かが起きているのを見た時に次に起きうることを脳が勝手に予測して不安になってしまったりする先回り機能のことである。それでついつい自分の子どもに『そんなことをしたら○○になるんじゃないの』とか、余計なことを言ってしまったりして面倒がられたりしてしまう。
長年の経験から、次は転ばないようにこうしようと予め自分を防御するようになってしまっているのだろうが、勝手に予測して不安になるこの先回り機能は必要ないと思っているのに、どうもこの機能がなかなか外れてくれなくて鬱陶しい。
その上、この機能が生み出す不安は、長年の経験のデータがベースになっている割にはたいして正確でもない。そう、ただの取り越し苦労であることが多いのだ。だから本当にいらないのに、その瞬間はとても正確な重要な情報に思えてつい口に出してしまうのだ。それで余計な一言を言った結果、自分の子どもに限らず周囲に面倒がられることになるのだから、本当に外したい機能である。
『老いてきたけど、まぁ~いっか。』では、「人生の最終章を、思いきり楽しむための、野沢直子流『老いとの向き合い方』」を紹介しています。。ぜひチェックしてみてください。
(本原稿は、野沢直子著『老いてきたけど、まぁ~いっか。』から一部抜粋・修正して構成したものです)
1963年東京都生まれ。高校時代にテレビデビュー。叔父、野沢那智の仲介で吉本興業に入社。91年、芸能活動休止を宣言し、単身渡米した。米国で、バンド活動、ショートフィルム制作を行う。2000年以降、米国のアンダーグラウンドなフィルムフェスティバルに参加。ニューヨークアンダーグラウンドフィルムフェスティバル他多くのフェスティバルで上映を果たす。バラエティ番組出演、米国と日本でのバンド活動を続けている。現在米国在住で、年に1~2度日本に帰国してテレビや劇場で活躍している。著書に、『半月の夜』(KADOKAWA)、『アップリケ』(ヨシモトブックス)、『笑うお葬式』(文藝春秋)がある。
写真/榊智朗