発売されるや、「ワクワクして眠れなくなる」「大発見が散りばめられている」と専門家からも絶賛の声が寄せられているコーポレートファイナンスの本があります。それが、「読書するネコ」がアイコンの『新解釈 コーポレートファイナンス理論』です。
この連載では、著者・宮川壽夫教授(大阪公立大学大学院)のガイドのもと、同書の一部を転載・紹介していきます。コーポレートファイナンスを学ぶ人だけが得られる知的興奮の一旦を、ぜひ味わってみてください。

ユニークな装丁の理由

 このたび『新解釈コーポレートファイナンス理論 「企業価値を拡大すべき」って本当ですか?』をダイヤモンド社から出版いたしました。出版まもなくさまざまな方面から大きな反響をいただいています。

 書店で本書を手に取られた方にはおわかりのとおり、コーポレートファイナンスの本としてはこれまでにないユニークな装丁となっています。まず目に飛び込んでくるのは表紙に描かれたかわいい猫ちゃんのイラストです。これは私が敬愛するイラストレーター岡村優太さんによるものです。研究者が書いたカタくて近寄りがたい分野の本が、岡村さんのやわらかくてフレンドリーなイラストによって飾られるということは滅多にありません。まさに異色のコラボ実現なのですが、こうして見ているうちになぜか不思議にしっくりと来るものがあります。多くの方に手に取っていただけることを願ってこのような装丁にしました。

『新解釈 コーポレートファイナンス理論』書影

 また、ペラペラとページをめくっていただければお気づきと思いますが、本書ではコーポレートファイナンス理論の本にあるような数式は一切使わず、その決意を込めて縦書きにしています。文章もなるべくリズムよく、そして滋味にあふれる言葉でやさしく表現しました。好奇心さえ携えていただければ事前の知識は不要です。

「企業価値を拡大すべき」という初期設定の問題点

 なによりも『新解釈』『「企業価値を拡大すべき」って本当ですか?』というタイトルにご興味を示された方も多いともいます。アンチテーゼを思わせるちょっとしたインパクトを持っています。

「企業価値の拡大を目指そう」というように企業価値という言葉をいまや誰もが安易に口にするようになっています。そして、そう言っている人も聞いている人も実は「企業価値の拡大」という言葉の定義についてきちんとした合意形成を得ないまま何となく納得しています。

 このあたりで一度「価値とはなにか」「拡大とはどういう状況を指すのか」「そもそも企業とは何であるか」という根本的なところを、なるべく多くの方に共有していただきたいと考えています。多少面倒でもここできちんとやっておかないと「企業価値の拡大」はいつまでたっても空虚なスローガンに過ぎないままです。そして、本来そこに含まれているとても重要な学問的示唆に多くの方が気づかないままになってしまいます。

 そこで、この『「企業価値を拡大すべき」って本当ですか?』というタイトルにはおおむね二つの意味を込めました。

 まず一つは、企業に価値をつけるという概念を生んだコーポレートファイナンス理論は決して企業価値の拡大を奨励している学問ではないし、ましてやその方法論を教えてくれるわけではないという問題提起です。ところが、最近ではわかりやすくて単純な企業価値拡大の処方箋のようなものがビジネスの現場で独り歩きし、断片的に語られるようになりました。コーポレートファイナンス理論が実践やスキルに偏りすぎて、本当に大事なところ、スポットライトを照射すべきところを間違えているように感じています。ここが本書の大きな問題意識です。

 コーポレートファイナンス理論は、価値をどのように定義すれば多くの人が合理性をもって納得できるのか、そして、仮に企業の目的がその価値の拡大にあるとしたら企業は一体どのような行動をとるのだろうか、という論理の道すじを示してくれる学問です。

『新解釈 コーポレートファイナンス理論』画像1

言うほど簡単じゃない企業価値の拡大

 二つめの問題意識として、企業価値を拡大するという現実は世間で言うほど簡単なことではないという点です。このことがメインメッセージとして本書には伏流しています。

 東京証券取引所が発表したコーポレートガバナンスコードの副題は「中長期的な企業価値の向上のために」と銘打たれています。しかし、その内容が本当に「中長期的な企業価値の向上」との因果関係にきちんと及んでいるかどうか、かなり控えめな表現を用いるとして、私にはなかなか読み取れません(そもそも専門家としては「中長期的な」という安易なワーディングも気になります)。

 実は、コーポレートファイナンス理論では完全市場を想定した場合、一つの企業のみが価値を拡大するのは不可能なことになっています。しかし実際には価値を拡大している企業と価値を毀損している企業が常に世の中には存在します。それは一体どういう理由によるものなのか? まあ、そこはひとつじっくり腰を据えて考えを巡らせてみようじゃないか。どちらかと言えば本書のノリはそんな感じです。世の中には、わかっているようで実はあまりよくわかっていない問題、改めて問われると即座に答えにくい問題、当たり前だと疑わなかったけど考えてみればちょっと変な問題、というものが意外とたくさんあります。コーポレートファイナンス理論にまつわるこのような問題を体系的に構成して読者のみなさんと一緒に考えていきます。世の中の流行や規範に惑わされず、しかし、最先端の考え方を地に足の着いた理論によって提示するのが本書の特徴です。

食糧備蓄倉庫の活用

 私は国内の投資銀行で18年間、資本市場を中心とするかなり広い範囲の仕事を経験しました。その経験は、コレステロールに注意している人が食パンにバターを塗るように、幅広く、そしてごく薄いものではありましたが、市場原理の厳しさと痛快さを自らの細胞の一つ一つに植えつけられました。また7年間は米国の企業でコンサルティンググループを率いる経験に恵まれましたが、ここではアンパンのあんこのようなボテッと分厚い経験をこんもりと積むことができました(必ずしもあんこのように甘い経験ばかりではありませんでしたけど)。一方、自分の仕事の現場である資本市場についてふと思うところがあって、コーポレートファイナンス理論を研究するため働きながら大学院に進学し、修士・博士の学位を取得しました。

 このように多少カラフルな人生の歩み方をしてきましたが、特に25年間のビジネス経験は、教育と研究を本職とする現在の私に極めて深い影響を与え、大きな役割を果たし続けています。その経験の蓄積は私にとって食糧備蓄倉庫のようなもので、必要な時にそこへ行って必要なものを取ってくることができます。そして、食べやすい甘めの味付けにして講義に使ったり、ちょっと刺激的な辛めの味付けで討論に使ったりしています。倉庫はこれ以上拡大しませんが、私の寿命を支えるに十分な備蓄があります。ただし、賞味期限だけには注意しなければなりません。

『新解釈 コーポレートファイナンス理論』の中でもこの食糧備蓄倉庫を何度か活用していますが、資本市場の現場で私が見たり、聞いたり、教えられたりしたことは、コーポレートファイナンス理論に対する私のオリジナルな思考の熱源となっています。私の講義では、もちろんポートフォリオ理論や企業価値の計算といった基本的な理論やフレームワークを教えますが、私が学生に教えたいのはそういう専門知識だけではなく、その背後に流れる「ものの見方や考え方」です。あるいはもっと踏み込んで、複雑な社会を生きていく上でだれにとっても必要な「目の前の現実に対処するための姿勢」のようなものなんです。

 コーポレートファイナンス理論という学問を通して学生と一緒にそういうことに気づく教育ができないだろうか、CAPM理論の公式だけではなく、もっと本質的で、これから社会に出る学生の心に残るようななにかを伝えられないだろうか、さらに欲を言えば社会に出ても学生が自らを温める熱源となるような滋養あふれる物語を私は教壇で語るべきではないだろうか、と最近は考えるようになりました。大きな問題提起を投げかける一方で、本書は私のそういう試行錯誤の一端を著そうとしたものでもあります。ですから、是非ビジネスの世界にらっしゃるプロの方にも読んでいいただきたいと思っています。

楽しみながら気軽なノリで読んでください

 本書は13の根本的な問いを掲げて、それについて考えていく13話にエピローグを合わせた14のお話で構成されています。各章の冒頭は大学の講義風景やビジネスシーンなどをモチーフとするちょっとした挿話から始まります。クスっと笑える挿話やうーんとうなる問題提起をまずはお楽しみください。私としては最後のエピローグの挿話が気に入っています。どうか順番に最後までがんばってお読みください。

 挿話で提起された問題に対して専門分野ではどのように解決されているか、あるいは解決されていないかという観点からきちんと理論を学べるよう各章本文が位置付けられ、締めくくりとして私がそれらのテーマから得た教訓(のようなもの)を紹介しています。こうして13話とエピローグの千夜一夜物語が構成されています。

 目の前の不思議な現象を具体的に解きほぐすヒントになるちょっと理屈っぽい話と、そこから引き出された抽象的教訓をどうか楽しみながらあじわっていただきたいと思っています。ただ、少し言いたいことが多すぎて思ったよりもページ数が増えてしまいましたが、本の大きさ自体はコンパクトですから、お出かけの際にはポンと鞄に突っ込む、そんなノリで気軽にお読みください。