結果が出なければ即クビに

 結果を重視するエジソンは、仕事のできない研究員に厳しくあたりました。「そんな仕事では金にならん」といきなり解雇したり、実験チームを解散に追い込んだりすることもあったそうです。

 なかには、エジソンの叱責に耐えられずに職場を後にした者もいました。現在ならば「パワハラ経営者」として責めを受けてもおかしくありません。

「エジソンを好きな者もいれば、恐れる者もいた。毛嫌いさえする者もいた」

 労働者からこんな証言が寄せられているのも、無理はないことでしょう。

任務に応じた「柔軟性」も重視された

 マニュアルもないエジソン研究所では、研究員の自主性が問われましたが、その一方で、エジソンは研究員に「柔軟さ」も求めました。

 なぜならば「どの技術を開発し、どうやって導入するのか」という、実験の方向性はエジソンが決めます。そこから各研究員の個性に応じて、仕事が割り当てられることになります。

 また、実験の途中で投入する資金や人的リソースも、エジソンが適宜判断します。他の研究チームから人材を異動させることも珍しくはありません。

 そのため、研究員には新しい仕事も柔軟に引き受けることが求められました。根っからの実験好きでアイデアマンでありながらも、求められた役割もこなせる。そんな人材をエジソンは重宝したのです。

自由に出入りできるオープンな空間

 エジソンの研究所は、研究員以外にもオープンな空間でした。アマチュアの発明家やエジソンの友人が、研究所の物品を使って自分の実験を行うことも許可していたくらいです。

 その際は、利用した材料の費用を支払うだけでよかったそうです。

 さらに、訪問客や放浪中の機械工もエジソンは歓迎しました。

 研究所内では、集まってきた発明好きの人たちによる、活発なコミュニケーションが絶えず行われていたのです。

 ちょっとした会話のヒントから新発明が生まれることもあります。

 偶発的な出会いによって新しいイノベーションが生まれる、そんな環境づくりも、エジソンは意識していたのでしょう。

天才のもとで働くのは楽じゃない

 いかがだったでしょうか。職場として刺激的なところはあるものの、自分が技術者として働くとすれば、二の足を踏む人がほとんどかもしれません。

 その分、飛び込んだ暁には、得られるものもまた大きいでしょう。

 世界を変える「天才」は、遠くで見て憧れている分にはよいですが、近くで働くには、十分な覚悟が必要となりそうです。

【参考文献】
1)アンドレ・ミラード『エジソン発明会社の没落』(橋本毅彦訳・朝日新聞社)
2)ジーン・アデア『エジソンー電気の時代の幕を開ける』(オーウェン ギンガリッチ編・近藤隆文訳・大月書店)
3)浜田和幸『快人エジソン』(日経BPマーケティング)