全世界で700万人に読まれたロングセラーシリーズの『アメリカの中学生が学んでいる 14歳からの世界史』(ワークマンパブリッシング著/千葉敏生訳)がダイヤモンド社から翻訳出版され、好評を博している。本村凌二氏(東京大学名誉教授)からも「人間が経験できるのはせいぜい100年ぐらい。でも、人類の文明史には5000年の経験がつまっている。わかりやすい世界史の学習は、読者の幸運である」と絶賛されている。その人気の理由は、カラフルで可愛いイラストで世界史の流れがつかめること。それに加えて、世界史のキーパーソンがきちんと押さえられていることも、大きな特徴となる。
そこで本書で登場する歴史人物のなかから、とりわけユニークな存在をピックアップ。一人ずつ解説していきたい。今回はアメリカが生んだ発明王トーマス・エジソンを取り上げる。エジソンは優れた科学者であると同時に、商業的に大成功をおさめた実業家でもあった。エジソンの研究所は、どのようにマネジメントされていたのだろうか。その独特すぎる職場づくりについて、著述家・偉人研究家の真山知幸氏に寄稿していただいた。

絶対についていけない!?発明王エジソンが作ったヤバすぎる「職場のルール」Photo: Adobe Stock

「世界を変える人と働きたい!」と応募殺到

 世界に変革をもたらした発明家のもとで働ける――。そんなチャンスがあれば「ぜひ挑戦したい!」という人は多いことでしょう。

 白熱電球の改良に成功し、蓄音機を発明したことで知られる、発明王のトーマス・エジソン。

 エジソンは、ニュージャージー州に位置するメンローパークの実験施設で次々と発明を行い、「メンローパークの魔術師」の異名をとりました。

 エジソンが生涯に行った発明は約1300ともいわれています。

 そんなエジソンは1887年、同じくニュージャージー州のウェストオレンジに、新たな研究所を設立。工場の規模は10倍以上に拡大され、研究員の公募を行うことになりました。

 すると、エジソンのもとで働きたいという応募者が、たちまち殺到することになります。

エジソンが掲げたスローガンとは?

 応募者のなかには、鉄道会社や化学企業などでキャリアを積んだ技術者もいれば、大学で学位を得た者、熟練の機械工などもいて、そのキャリアは多岐にわたりました。

 なかには「報酬はいらないから、働かせてほしい」と申し出る者もいたそうです。

 発明を量産したエジソンが掲げるスローガンは、極めて具体的です。発明家を目指す若者にとっても、魅力的な目標だったに違いありません。

「10日ごとに小さな発明をし、約6ヵ月ごとに大発明をする」

 しかし、エジソンのもとで働くのは、甘いものではありませんでした。エジソンが人材に求めるハードルは高く、また労働環境も個性的なものだったのです。

作業マニュアルは存在しない

 エジソンの研究所には、普通の工場ならば用意されているような、作業マニュアルがありませんでした。新人が規則について質問すると、エジソンから、こんな答えが返ってきました。

「ここには規則なんてものはねえんだ。何かつくりゃあ、いいんだよ!」

 マニュアルや研修を重視する人には、かなり苦痛が伴うことでしょう。自主性に富み、どんどん研究を進めたいタイプでない限り、エジソンのもとで働くのは難しそうです。

過酷すぎる労働時間

 エジソンは労働者を容赦なく、長時間働かせました。「午前9時から午後5時まで」といった常識的な勤務時間は、一切考慮されなかったのです。スタッフの一人がこう振り返っています。

「われわれは夜の間も長時間、しばしば我慢の限界まで働くことになった」

 今でいう「ブラック企業」そのものだといってよいでしょう。ただし、経営者であるエジソン自身が、誰よりもハードワークをしていました。

「成功の現実的指標は、24時間の中に詰め込まれた実験の数である」

 そんなモットーを持っていたエジソンは、長時間眠らずに、数日間ぶっ通しで実験を行うのが常でした。

 そんな社長の下で働くのですから、プライベートを大切にしたい人は、別の働き口を探したほうがよさそうです。

めちゃくちゃうるさい職場環境

 エジソン研究所では、ともに作業台でワイワイ働きながら、エジソンと食事をともにしました。また、工場の一画にある大きなオルガンを囲んで、みなで歌ったりして、昼夜問わず、大騒ぎすることもしばしばでした。

「静かな環境で仕事に集中したい」。そんな人にとっても、エジソンの研究所はつらい職場になりそうです。

 絶えず喧騒に満ちているため、寂しがり屋な人には、ぴったりの環境かもしれません。

イタズラや悪ふざけは日常茶飯事

 うるさいだけではなく、エジソンの研究所では、科学装置を使ったイタズラが日常的に仕掛けられることになります。それもエジソン自身から、です。

 エジソンが、居眠りしている従業員を爆発音でたたき起こす装置を作って、みんなを驚かせたこともあります。名づけて「死体復活マシン」。

 こんな悪ふざけは、日常茶飯事でした。

 エジソンのサポートに入るとき、イタズラに警戒しないのは、新人だけだったとか。社長から仕事の邪魔をされてはたまりません。

 しかし、「相手を驚かせたい」という思いこそが、発明の原点です。

 くだらないイタズラもまた、エジソンにとっては「小さな発明」だったのでしょう。

アイデアマンより職人の待遇を手厚く

 報酬については、大卒の給料や、ニューヨークの熟練職人の給与より高かったといわれています。

 ただし、実力主義が導入されており、各研究員の技能と経験に応じて、セント単位で区分を行ったうえで、支払いが行われました。

 また、報酬システムの特徴として、エジソンは発明家よりも、製図や冶金などを行う職人の待遇を手厚くしました。その理由については、こんなふうに語っています。

「若き発明家がほしいのは金ではなく、野心を実現させる機会なのだ」

 現在ならば「やりがい搾取」と批判されてしまうかもしれません。しかし、その一方で、結果を出した者には、積極的に所内で昇進させるように心を配っていました。