徹底した少人数制授業で「対話」を重視し、「探究型学習」と「受験」の両立を掲げ多くの塾生を志望校に進学させてきた「知窓学舎」。新刊『子どもが「学びたくなる」育て方』を上梓した塾長・矢萩邦彦氏は、子どもに毎年「ある質問」をしているという。(構成/編集部・今野良介)

「なぜ人を殺してはいけないのか?」

ショッキングではありますが、私は毎年この質問を塾の生徒に投げかけています。

ここ十数年の観察でわかったことが一つあります。それは、子どもは、経験していないことでも想像力でじゅうぶんに補えるということです。

昨今、何でも「経験させることが大事」という風潮がありますが、それは経験させる側の大人がしっかりナビゲートすることが前提です。

たとえば、いじめに遭った子どもに対して「その経験があるから今の君があるんだよ」と声をかけたりする大人がいます。励ますために言っていたとしても、これは非常に無責任な発言だと私は思います。

子どもは、つらい経験や苦しい経験をしなければ強くなれないわけでも、優しくなれないわけでも、人の気持ちがわからないわけでもない。長年子どもと接してきて、そう確信しています。

「なぜ人を殺してはいけないのか?」という質問の話に戻ります。

ある時期、この質問に対して「人口が減るから」と答える子が急激に増えました。

最初は、このように回答する子は教室で1人か2人。かつ、答えた子には「ちょっと奇をてらったことを言ってやろう」という魂胆が透けて見えました。

ところが、年を追うごとにその数はどんどん増え、ある時期クラスの半数以上が「人口が減るから」と答えたことがありました。ふざけているのではなく、本気でそう答えているのです。私はサイコスリラー映画の一場面を観ているような気持ちになりました。

実は、この回答が増えた時期は、入試問題で「日本の人口減少」に関する問題が出題されるようになった時期と重なっています

つまり「人口が減少することは問題だ」「だから対策が必要だ」という入試問題のロジックに触れ続けた結果、「人を殺すこと」を「人口減少」と安易に結び付けて捉えるようになったと考えられます。

「人を殺しちゃいけない理由」に子どもは何と答えたか同じ質問で「定点観測」して見えてきたこと。 Photo: Adobe Stock

しかし、東日本大震災後に状況が一変しました。

多くの方が亡くなった震災の年、この質問を子どもに投げかけてよいものか悩みましたが、そういうときだからこそ生徒の死生観を知ることが大切だと考えなおし、例年通り実行したのです。

すると、「法律で決まっているから」「親が悲しむから」「殺されるほど悪い人かはわからないから」「迷惑がかかるから」「かわいそうだから」などの回答が増え、前年まで増え続けていた「人口が減少するから」という回答は「ゼロ」になりました。

この変化の背景には、SNSでもテレビのニュースでも、震災による死をリアルに想像できるような情報が飛び交っていたことがあると考えます。

「死者1万5900人」というバーチャルな数字の塊ではなく、その死の一つひとつに家族があり、学校へ行って友達と遊んでいた生身の人の姿を想像できたのではないかと思うのです。

このとき私は、たとえ実際に経験したことでなくても、子どもは想像力で補うことができる可能性を見たように思いました。

経験が糧になるという主張に異論はありませんが、経験しないほうが良いことも間違いなくあります。悪い人には出会わないほうがいいし、人を傷つける前に自分でストップをかけられなければいけない。そのためにも、さまざまな人生経験を積んできた大人が、子どもにその経験をシェアする対話が必要だと思うのです。

死を扱うと、子どもが対話の中で辛くなることもあるしれませんが、安心・安全を担保できる家庭の中だからこそ扱えるテーマだと言えます。

もちろん、その対話がトラウマになったりすることのないよう、お母さんお父さんが子どもの様子を観察しながら対話を進めていくことが前提です。(了)

矢萩邦彦(やはぎ・くにひこ)
「知窓学舎」塾長、実践教育ジャーナリスト、多摩大学大学院客員教授、株式会社スタディオアフタモード代表取締役CEO
一児の父。親の強い希望で中学受験をしたものの学校の価値観と合わず不登校になり、学歴主義の教育に強い疑問を抱えて育つ。1995年、阪神・淡路大震災の翌日に死者数で賭け事をしている同級生を見てショックを受け、教育者の道を歩み始める。大手予備校で中学受験の講師として10年以上勤め、2014年「すべての学習に教養と哲学を」をコンセプトに「探究×受験」を実践する統合型学習塾「知窓学舎」を創設。教師と生徒が対話する授業、詰め込まない・追い込まない学びにこだわり、「探究型学習」の先駆者として2万人を超える生徒を直接指導してきた。
受験を通して「学ぶ楽しさ」を発見することを目指して、子どもが主体的に学ぶ姿勢をとことんサポート。ライブパフォーマンスのように即興で流れを編集するユニークな授業は生徒だけでなく親も魅了する。多くの受験生を志望校進学に導き、保護者からの信頼も厚い。新しい教育を実践しようとする教師・学校からの相談も殺到し、多数の教育現場で出張授業、研修、監修顧問、アドバイザーなどを兼務。生徒たちに偏差値や学歴にとらわれない世界の見方を伝えるため、自身の学歴を非公開としている。
「子どもと社会をつなぐことのできる教育者」を理想として幅広く活動。住まいづくりや旅づくりの研究と監修、シンガーソングライター、カメラマンなどアートの領域から、ロンドンパラリンピック、ソチパラリンピックにジャーナリストとして公式派遣されるなど、一つの専門分野では得にくい視点と技術の越境統合を探究。独自の活動スタイルについて編集工学の提唱者・松岡正剛氏より「アルスコンビネーター」の称号を受ける。「Yahoo!ニュース」個人オーサー・公式コメンテーター。LEGO® SERIOUS PLAY®メソッドと教材活用トレーニング修了認定ファシリテーター。キャリアコンサルティング技能士(2級)。Learnnet Edge『自由への教養』探究ナビゲーター・カリキュラムマネージャー。常翔学園中学校・高等学校 STEAM特任講師。聖学院中学校・高等学校 学習プログラムデザイナー。文部科学省「マイスター・ハイスクール」伴走支援事業スーパーバイザー。2022年10月、初の単著『子どもが「学びたくなる」育て方』を上梓。