ラテン語こそ世界最高の教養である――。東アジアで初めてロタ・ロマーナ(バチカン裁判所)の弁護士になったハン・ドンイル氏による「ラテン語の授業」が注目を集めている。同氏による世界的ベストセラー『教養としての「ラテン語の授業」――古代ローマに学ぶリベラルアーツの源流』(ハン・ドンイル著、本村凌二監訳、岡崎暢子訳)は、ラテン語という古い言葉を通して、歴史、哲学、宗教、文化、芸術、経済のルーツを解き明かしている。韓国では100刷を超えるロングセラーとなっており、「生きる勇気が湧いてきた」「世界を見る視野が広くなった」「思考がより深くなった」と絶賛の声が集まっている。本稿では、本書より内容の一部を特別に公開する。

「自分が嫌いでたまらない」あなたに知ってほしい、たった1つの言葉Photo: Adobe Stock

自分の嫌なところばかりが気になるあなたへ

 私たちは他人を観察するように、自分自身についても絶えず観察しています。ただ、それを認識していないか、また認識できていないかの違いだけです。

 特に自分の短所については、気づかないふりをしています。自分の短所と向き合うのには勇気が必要だからです。だから自分の短所や弱点と直面したとき、そこから目をそらし、自分の環境について不満を述べるのです。中でも親に対して不満をぶつけることは、最もイージーな選択です。

 しかし、自分自身を責めるよりも痛みが少ないとはいえ、良心も痛み、決して気持ちのいいものでもありません。

 だから私たちは真っ先に自分自身に失望することを習慣にしているのかもしれません。

 しかし、もう少し考えてみると、短所について別の見方をすることができます。自分が短所だと思っていることも、実はマイナス面ばかりではないこともあるのです。もちろんその逆もあります。

 私の場合を例に挙げると、私は幼いころから虚弱体質で、たとえ試験前日であっても一夜漬けできないなど体の無理が利きませんでした。したがって毎日時間を決めて勉強するしかなかったわけですが、結果的には、「体が弱い」という短所が「規則正しく勉強する」という長所に変わったわけです。

 しかし、ある時期から今度はこのことが人づき合いにおいて短所となっていました。勉強に没頭するあまり、人とつき合う時間を削りすぎてしまったのです。実は、私は今でも人づき合いが苦手です。じっくり腹を割って話し合い、交流を深めることが得意ではありません。

ラテン語の名句に学ぶ「捨てる勇気」

Postquam nave flumen transiit, navis relinquenda est in flumine.
ポストクァム・ナヴェ・フルメン・トゥランシート、ナヴィス・レリンクエンダ・エスト・イン・フルミネ
川を渡り終えたら、舟は川に置いていかなければならない。
※発音はローマ式発音を基準にしています・

 川を渡り終えたのに、すでに用済みになった舟をもったいないからと引きずっていくなんてバカげていますよね?

 この名句が示すように、本来の長所であったものが短所になった時点で、思い切って手放すことが大事なのかもしれません。

 もちろん、自分の長所と短所を見つけることは容易ではありません。簡単にわかりもしないし、生半可に「これが自分の長所、短所だ」と決めつけるのもどうかと思います。自分自身についての深い省察と、置かれた環境にどう対応するかを常に自問しなければなりません。

(本原稿は、ハン・ドンイル著『教養としての「ラテン語の授業」――古代ローマに学ぶリベラルアーツの源流』を編集・抜粋したものです)