「誰にも言わないで」と言ったのに(期待)、ペラペラ話された(結果)
辛いことがあって話を聞いて欲しかったのに(期待)、聞いてもらえなかった(結果)
自分の気持ちに共感して欲しかったのに(期待)、「そんなことで……」と言われた(結果)
信じていた人から(期待)、悪口を言われた(結果)
私と遊ぶ約束をしていたのに(期待)、別の人と遊んでいた(結果)

 相手が「信じている人」「身近な人」など、あなたにとって心を許している人であるほど心の傷は深くなります。

 子どもにとって親は、「信じている人」「身近な人」の両方が当てはまります。
 だからこそ、子どもの頃の出来事が「人を信じられないきっかけ」となっているケースはとても多いのです。

 公園で転んで、大泣きしている小さな子どもを想像してみてください。
 この時、見知らぬ他人に「そんなことで泣くな!」と怒られるのと、信じていた親から「そんなことで泣くな!」と言われるのとでは、心に受けるダメージの大きさが全然違います。

 転んだ子どもが期待したのは「よしよし」「優しい声かけ」「助けてもらうこと」だったと仮定しましょう。
 でも現実には、「信じていた人から怒られる」という予想外の出来事が起こりました。
 このように期待と違う出来事が起こる時、人は「傷ついた」「裏切られた(期待したものが得られなかった)」と感じます。この経験の積み重ねが「人を信じないほうがいい。裏切られたら傷つくから」につながりやすいのです。

 あなたにも子どもの頃、「人を信じられなくなったきっかけ」があるはずです。
 生まれながらに人を信じられない人はいませんから。

 もしかすると「そのきっかけ」は、大人になったあなたから見れば「小さな裏切り」「よくある出来事」に感じるかもしれません。あなたの心が成長したという1つのサインでもありますから、それはそれでOKです。

 でも子どもの頃のあなたにとっては、これらの出来事は「大きな裏切り」「大きなショック」だったはずです。
 過去の出来事を「今も思い出せる」「今も覚えている」ということそのものが、「当時ものすごく傷ついた」という1つの事実を物語っています。どうでもいいことなら、忘れてしまっているはずですから。

 子どもにとって家庭や学校は、人生そのもの。
 家庭や学校で起きたショックな出来事というのは、大袈裟ではなく「この世の終わり」と思うほど心に深い傷を残します。

 この「当時の辛い気持ち」を解消しないまま大人になると、当時の気持ちが冷凍保存されたような状態になります。
 ずっと冷凍保存されたままならいいのですが、ふとした時に解凍されて、当時の感覚が生々しく蘇ります。
 すると目の前の人と「過去に裏切った人(出来事)」が心の中で重なって、「信じないほうがいい!」「信じると傷つく!」と無意識に判断してしまうのです。

 今あなたが「信じたい」と思っている人は、「過去に裏切った人」と同じ人でしょうか?
 違うのなら、過去を思い出した心が警戒しているだけなのかもしれません。

 その人は、当時の「あの人」とは違います。
 その人は、信じても大丈夫な人なのかもしれませんよ。