ポロックは、まず、知的な人物である、という側面がある。絵画の歴史をいろいろ研究して、それをベースに、今まで誰もやっていない新しい美術を創始しようと考えた。

ポロックが残した捨てゼリフ

 新しい絵画を描こうとして、新しいアイデアが浮かぶ。しかし「新しい」アイデアが浮かんだと思って、ふっと気がつくと、「そういえば、それはピカソが既にやっていた」と思い当たる。また別のアイデアが浮かぶと、やはりピカソが既にやっていた。そんな時にポロックが呟いたといわれる言葉に、

「クソッ、あいつが全部やっちまった」

 というのがある。もちろん、あいつ、とはピカソのことだ。絵画という枠の中で、何か新しいことをしようとしたら、ピカソが全部やってしまっていたので、残されたものはない。というふうにポロックは捨てゼリフを残したのだ。

 しかし、そんなふうに行き詰まったと思われたポロックのチャレンジの先に、何があったかというと、ピカソとは違った、ポロックならではの、新しい絵画だった。絵の具を飛び散らしたり、垂らしたり、そんなことをして絵画が成立する。ポロックは、そんな新しい現代アートを作り出した。

 そもそも、ポロックの絵画は、ただのなぐり描きではなくて、そこには深い意味がある。また「誰にでも描ける」という絵画でもない。試しに、ポロックを真似て、絵を描いてみるといい。誰にでも描けるものなら、それをそっくり模写することができるはずだが、果たして、ポロックの絵画と見紛うほどの絵が描けるだろうか?

 たとえば、模写ということで『モナリザ』の絵のことを考えてみよう。もし『モナリザ』を模写して偽物を作ったとしよう。しかし、どれほど絵が上手い人が描いても、『モナリザ』の偽物は作れない。目や唇が、0.何ミリかずれているだけでも「どこか、違う」とほとんどの人が気づく。どんなに絵が上手い人でも、偽物だとわかる絵しか描けない。写真やCGを使えば偽物が作れるかといえば、小さなヒビ割れやツヤが放つ質感は再現できず、やはり「どこか違う」となるだろう。精細な3Dプリンタでも、ヒビ割れの再現は無理だろう。それほどに、オリジナルの絵画というものは精細で、正確な再現などできない。

 これは『モナリザ』のような、微妙な表情のある人物を描いた絵画に限らない。ポロックのような抽象的な絵画も、再現はできない。できない、はずだ。