クリントン元大統領との信頼関係で避けられた衝突
外国語だけではなく、歌、楽器演奏なども文化交流や外交の場に持ち込んだ。一番、有名なのは98年6月、クリントン米大統領(当時)夫妻の訪中時のエピソードだ。
人民大会堂でクリントン夫妻を迎えた江沢民は、93年にもクリントン氏に上海製楽器をプレゼントしたことがあるほど、2人とも音楽好きで知られている。その日は、江氏は即席でバンドを指揮して『祖国を歌う』を演奏させた。その後、クリントン氏にタクトを持たせたが、クリントン氏は『海を越えた握手』(Hands Across the Sea)という歌の演奏を指揮した。これまでになかった米中指導者の交流スタイルに、人々はある新鮮さと可能性を感じた。
しかし、約1年後の1999年5月にユーゴスラビアの中国大使館が米軍のB2ステルス爆撃機によって誤爆された。事件発生後、江氏はクリントン氏からの電話に出ることを拒否したほど、憤慨した。
事件発生から1週間ほどたってから、江氏はようやくクリントン氏からの電話に出た。クリントン氏は、改めて謝罪の意を示し、故意に大使館を爆撃したとは信じないと江氏に説明した。江氏は「あなたには(そのようなことは)できないと知っている」と答えたが、「米国のような技術の先進国がこのような過ちを犯すとは信じられない」とも述べた。
2000年までに、米中双方は事件の死傷と財産損失の賠償問題で合意に達した。米中の軍事衝突へのエスカレートは両首脳の信頼関係で避けられたと言えよう。
福島のある技術系大学の教授だった在日中国人男性は、こう感想を述べた。
「楽器も書道もいろいろできる。教養レベルが高く、知識が広くて深い。私たちは追いつかないほどの指導者だ。芸術に明るい人は良い人が多い」
江氏の死去を悼む声は中国のインターネットに、SNSにあふれている。ある時代が急速に離れていく予感がした。
(作家・ジャーナリスト 莫 邦富)