「何歳でリタイアするか?」という問題は、世界に生きるビジネスパーソンにとって本当に悩ましい問題です。日本をはじめとする高齢化する国で生きる人にとって、人生が残り何年なのかということ、自分の蓄えがどれほどか、そして枯渇する国の年金基金の兼ね合いによっては、懸命に働いてきた人に幸福とはいえない晩年が訪れることになりかねないのです。2022年、世界人口は80億人を突破したと国連が発表しました。70億人からわずか11年、このまま人間が増えると、環境問題、食料問題をはじめ「地球は大丈夫なのか?」と懸念する声にあふれています。このアンバランスをどう考えればいいのでしょうか?『米国防総省・人口統計コンサルタントの 人類超長期予測』(ジェニファー・D・シュバ著、ダイヤモンド社刊)を刊行したばかりの、世界の人口統計学の権威の見方を紹介します。(訳:栗木さつき)
高齢化していても、リタイアが早い国も
人口高齢化がいかに前例のない、そして予測外のものであったかは、数十年前に定められたケースが多い定年退職の年齢と、現在の平均寿命の不釣り合いを見れば一目瞭然だ。
ある年齢の人が次の誕生日を迎えるまでに死亡する確率を計算する際にアメリカ社会保障庁が利用している保険数理表によれば、私はあと47年生きられるそうだ。もし私が、現在の状況下で公的な社会保障年金の一部を受給できる62歳まで生きられたなら、さらにもう26年生きると予測される。そして年金を満額受給できる67歳まで生きられたなら、さらにもう21年以上の余生があると予測される。退職から死に至るまでには、かなり長い年月があるわけで、私個人としてはまったくかまわないが、全体として考えると社会保障庁の支払い能力に支障をきたす。
アメリカだけがこの問題を抱えているわけではない。今日のドイツ人男性は引退してから約18年、老後の日々を過ごしている。フランス、ベルギー、スペインといった多くの国々では、図表14が示すように、実効引退年齢―退職する平均年齢―は、年金を満額受給できる通常退職年齢よりも数年、低いのだ。
その一方で、とくに韓国、メキシコ、日本、チリ、イスラエルでは、男女ともに(男性のほうが労働市場に参入している人数が圧倒的に多いため、表では男性のみを示している)年金の受給開始年齢をはるかに超えて働いている。より高齢まで働くことを奨励する労働文化(もしくはより高齢まで働かざるを得ない状況)がある国のほうが、ドイツのように年金の受給開始年齢と実効引退年齢がどちらも低い国よりも、高齢化による経済的な難題に対処するうえで有利な立場にいる。
このように、退職のタイミングはきわめて重要だ。というのも、一部の国では年金を満額受給できる年齢に達する前に年金の一部を受給開始できるうえ、労働市場から退出する理由には障害や失業といったものも含まれるからだ。ドイツでは2014年、退職者の約56%が早期退職者だった。イタリア人男性は(OECDが「通常」退職年齢と呼ぶ)67歳で年金を満額受給できるが、平均的なイタリア人男性はそれよりも5年早く退職している。そして一般的に、女性は男性より1、2年早く退職している―女性のほうがたいてい長生きするにもかかわらず。OECD加盟国では、いまより平均余命が短かった1960年代から70年代にかけて、実効引退年齢は今日より高かった―ただし、日本と韓国は例外だったが。
1889年、ドイツが老齢年金制度と、労働能力を喪失した労働者に対する廃疾年金制度を導入したとき、当時の宰相オットー・フォン・ビスマルクに、たった100年後には国の人口構造がひっくり返り、国の負担が重すぎて耐えられないほどになるだろうと予測するすべはなかった。
それでも全体として、こうした年金制度は意図した役割を果たしてきた。すなわち、もっとも貧しい層の高齢者の生活水準の向上だ。アメリカでは、1935年に社会保障法が制定されたその前年、高齢者の半分以上が自力では生活できない状況にあった。アメリカでは財政的に保守派のピーター・G・ピーターソン財団でさえ、社会保障年金制度がなければ、アメリカの高齢者の3分の2はいまだに貧しかっただろうと認めている。人口高齢化の世界的な広がりを議論する際には、この点を忘れてはならない―高齢者向けの年金制度がない地域に暮らす高齢者は、長生きして幸運に恵まれたとは言えないかもしれないのだ。