病院の発熱外来は長蛇の列、
人々は自宅で息を潜めて暮らす日々

本来なら出勤ピークのはずの、平日朝7時半の北京市地下鉄 Photo by doubleaf本来なら出勤ピークでラッシュのはずの、平日朝7時半の北京市地下鉄。「新十条」が出ても街に人が急に増えたということはなく、人々は感染におびえながら暮らしているのが現実だ Photo:doubleaf
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 PCR検査場は病院などの医療機関に制限されてしまった結果、その検査にやってくる人たちで発熱外来は長蛇の列となる一方で、かなりの数の人たちが自宅で息を潜めて過ごすようになった。実際、「陽了」宣言をした筆者の友人たちも、ほぼ全員がそんな感じで過ごしている。つまり突然の措置緩和によって、文字通り「データ化されない」まま、感染が爆発的に広がっているようなのだ。

 ある北京在住の元メディア関係者の友人とチャットしているときに、「感染者が増えたのはPCR検査が中止されたためだろうか?」と尋ねてみた。すると彼は言った。「いや、たぶん『新十条』でPCR検査が中止される以前に、感染はすでに手に負えないほど広がっていたんじゃないかと疑っている。だって拡大するのが速すぎるよ」。もちろん、これは根拠となるデータはなく、北京で暮らす彼の、体感による推測でしかないのだが。

「新十条」が発表されたのは、11月末に世界をあっと言わせた、いわゆる「白紙運動」の結果だったのは間違いない。新疆ウイグル自治区で起きたマンションの火災で長期化し、すでに硬直化していたコロナ対策措置が邪魔して救援活動が進まず、10人もの死者を出したことで、「もうたくさんだ!」と若者たちが立ち上がって街角で叫んだ。ウイグル自治区で起きたその行動は急速に各地で同調者を立ち上がらせ、南京、上海、北京、成都……と拡散しただけではなく、そこから中国共産党や習近平を名指しで批判する声、さらには「自由を」「民主を」という要求が上がったことはすでにご存じであろう。

参考:抗議デモ、段ボール犬と散歩、うつ…青春をゼロコロナ政策で封じ込まれた中国の大学生

 筆者にとっては、それが激しい暴力的な鎮圧行動へと発展しなかったことも、またある意味驚きだった。そこには明らかに、突然各地に飛び火した抗議活動に対する行政側の思索があった。ただその一方で、各地の活動の中心人物とみられた人は人知れず拘束されており、今も家族がどこにいるのか分からないとSNSで訴え、心ある人たちがその安否を気遣っていることは特筆しておく。あの国で行動を起こすにはまだまだリスクが伴うにもかかわらず、そしてそのことを知らないわけでもないのに立ち上がった若者たちの勇気に、静かにエールを送る人たちもまた少なくない。

 思索したはずの政府は、表面上は抗議の声に応えたかのように措置の緩和を決め、「新十条」を発表した。だが、実際に出現したのは「行政の突然の全面撤退」だったのである。

 3年の間、PCR検査を繰り返し、そしてそこから受け取る緑色の健康コードでルール付けられた生活にすっかり慣らされた人たちは、一夜のうちに消え去ったPCR検査場を前にぼうぜん。さらに、地下鉄やバスなどの公共の場でもコードの提示が不必要になったことに不安を覚えた。そして前述した薬局では「爆買い」どころか、手当たり次第に解熱剤、風邪薬、頭痛薬などを買い占めたのである。