キャンドル・ジュンが
「キャンドルアーティスト」と名乗らない理由

キャンドル・ジュン氏Photo by Teppei Hori

ジュン クリスチャンの家に生まれたので、幼少の時から教会などでキャンドルを見てきたんです。教会で年に何回か、キャンドルの灯りだけのミサというのがあり、その雰囲気がとても好きでしたね。

 また、父親がヴァイオリン製作の職人で、当時は余った木材などを燃やしていました。そこで火を扱うことに興味を持ちました。焚き火をしたり花火をしたり、非日常を味わえる火遊びというには、子どもを魅了したりしますよね。私もそうでした。

 灯す火と燃やす火。同じ火ではあるけれど、燃やす火は燃料を足せばいくらでも燃えていきますが、キャンドルというのは燃える燃料がすでに決まっています。どちらも見ていて、小さい頃からその2つの決定的な違いを認識していました。

 物心がついた頃から、「何のために生まれてきたのだろうか?」というのがずっと問いとしてあったんですね。日々の暮らしの中で、自分がしたくないことがたくさんあった。でもしなければならない。これは一体、何のためだろうと。

 ヴァイオリンを作りたいと親に言うと、弾けなければならないと、弾くことを習わされる。学校やレッスンなどで毎日忙しくても、日曜日には必ず教会へ行かなければならない。大人たちはこれまで散々、カトリックについて学んできているはずなのに、キリストの教え通り生きているはずなのに、毎回、懺悔(ざんげ)を繰り返しているのはなぜなのだろうか――。幼いながらも時間や労力に限界があることを意識するようになり、「これは本当に自分にとって必要なものだろうか?」「目的にズレが生じるのはなぜか?」「何のために生まれてきたのだろうか?」といった問いが自分の中に生まれ、次第に大きくなっていったんです。

 10代の終わり、親元を離れて一人暮らしを始めた頃に、こうした問いが再び大きくなり、より自分と向き合うようになりました。思考するために空間を工夫するようになり、照明の代わりにキャンドルを灯していました。その時は料理人として生計を立てていましたが、たまたま余っていたロウソクのかけらを集めてキャンドルを作り、友人にプレゼントしたところ喜ばれて、自分でキャンドルを作って生活するようになっていったんです。

――今は「キャンドルアーティスト」とは名乗っていませんね。理由をお聞かせいただけますか?

ジュン キャンドルの製作や販売、空間演出、イベントの企画や運営を行う株式会社ELDNACS(エルドナックス)という会社の代表や、一般社団法人LOVE FOR NIPPONという支援団体の代表、そして日本キャンドル協会の専務理事をしていますが、肩書としては単に「アーティスト」としていますね。

「空間演出家」や「イベントディレクター」というのもしっくりこなくて。キャンドルを使うジュンなので、「キャンドル・ジュン」で肩書は十分と思ったんです。

 日本の場合、年齢や会社名で上下関係を出してくる人が多いですよね。割と新聞社さんも取材時に年齢や出身地を聞いてきたりします。そうしたことで識別して型にはめられてしまうと、自身の活動を狭めてしまったり、自身の活動を認識してもらうことを遠ざける要因になったりしてしまうと感じたんです。

JCAA年に1度、東京タワーで開催されるJCAAにて Photo by Hasegawa Koukou

 先ほどお話したように、幼少から抱いていた目的とのズレに対する違和感から「これは本当に自分にとって必要なものだろうか」ということをつねに考えるという基軸があったため、「キャンドルアーティスト」という肩書についても必要性を感じなくなったんです。

 そのため、2〜3年ほど前から「キャンドルアーティスト」という肩書で紹介するのはやめてくださいと、取材時に伝えるようになりました。ただ、便宜上、付けさせてほしいといったことを皆さんおっしゃるので、自分が名乗っているわけではないことがわかるようにしてもらえれば結構ですよ、と言っていますが、あまりそうしてくれていませんが……(笑)。

 12年前に結婚してから、実はメディアに出るのはもうやめようと決めました。どれだけ一生懸命に話しても、どれだけコミュニケーションのキャッチボールをしても、一部が切り取られて報道されてしまう。こちらではコントロールができない。であれば、メディアに出なければいいのだと。

 でも反省もあって、どこをどう切り取られてもいいように話してこなかった。軸を持って話せば、自分の目的とズレが生じることはそこまでない。そう思うようになってからは、メディアへのマインドも少しずつ変わっていきました。肩書も「アーティストでお願いします」と言い切ってしまえばいいんだと。