おのおのスマホで撮影したり、案内板を読んだり、本堂にご挨拶したりしていると、きりん氏の姿が見当たりません。あわてて筆者が境内奥を探すと、墓地の奥で般若心経を唱えているきりん氏を発見。何とその一画は、平安時代末から鎌倉時代初期にこの地に君臨した土肥実平の一族の墓でした。墓石の数66基。
「山門の両脇のイチョウから境内入り口のビャクシン、そしてここに良い気が流れています。ほら、ここにも大きな木が」(きりん)
確かに、墓所の目印のような大イチョウが大きな“乳(気根)”を垂らして聳えていました。なるほど、そういうことか……筆者ホンダは深くうなずきました。
菩提寺の境内および墓所を、見晴らしの良い、良好なコンディションに保っておく(それが結果的に子孫や領民の繁栄につながる)というのがまずはこの「場」のコンセプトでしょう。そのポイントが、境内のしかるべき場所に配された境内樹(御神木)で、先のビャクシンが境内の中心軸としてそびえ、二か所のイチョウが良い気を呼び込み、場を調えている……と。境内の御神木は、それ自身が意味と役割をなしているといえそうです。