名画「ロートレック・コレクション」の売買話

 園子が唐突に河村へ持ちかけた絵画取引は、フランスの名画「ロートレック・コレクション」の売買話だった。園子がその売り先を探していたという。河村にとっては、商業高校卒の身でありながら住銀の常務にまで取り立ててくれた恩人の娘の頼みである。むろん無下に断ることはできない。河村を住銀からイトマンに送り込んだ磯田は、いうなればイトマンにおける河村の後見人でもあった。河村は二つ返事で園子の申し出を了解した。

 そのためイトマンが「ピサ」からロートレック・コレクションを購入することになった。だが、あくまで商社なのだから、それは絵画を仕入れ、他に転売するビジネスだ。そこで、河村は伊藤寿永光に相談し、伊藤が許永中にロートレック・コレクションを買わないか、と打診したのである。事件当時の許はそこについて、91年8月9日付の検察官面前調書でこう述べている。

〈平成元年11月中ころから下旬にかけてのことでした。
 多分、東京帝国ホテルの835号室の伊藤が長期契約していた部屋で、伊藤から
これ知っているか。
と言われ、
 一 アルバム 4~5冊位
 二 西武ピサの調査リスト
 三 カタログ(シンメル夫妻のコレクションの紹介記事の載った雑誌)
 を見せられました。
 私は、すぐに、ロートレックの作品のみならず、身の回りの品も含めたすばらしいコレクションであると分かりました〉

 コレクションにはロートレックの友人たちの書簡なども含まれ、印象派絵画の収集家にとっては垂涎(すいぜん)の代物だったといえる。許はこの話にすぐに飛びついた。

 許にとって西武百貨店の堤は、京都銀行株を買い占めたあと引き取りをドタキャンされた怨念もある。だが、貴重な儲け話を目の前にし、そんなことはどうでもよくなったに違いない。

 許は部下に命じてロートレックの出所を調べさせたようだ。すると部下から、次のような答えが返ってきたという。

〈実は、オーナーサイドの特殊なルートなので、私にはタッチできないのです(中略)と断りを入れてきました〉

 先の検面調書にはこうも書かれていた。

〈オーナーとは、堤清二のことであり、特殊なルートとは政治家、財界人等有名人の顔やつてを使って商売することのようであり、(中略)ロートレックの件は、西武ピサとイトマンとの間でも、いわゆるトップマターの問題であることがわかりました〉

 堤や政財界が取引に携わって仕入れた絵画コレクションだと聞かされた許は、それだけ価値があるものだと見たようだ。西武「ピサ」からのイトマンの絵の仕入れ値は16億円だったが、許はそれを68億円で購入すると約束する。実に仕入れ値の3倍の価格だ。

 一方イトマンにとっては、絵を右から左に流すだけで50億円以上の儲けになる。まるで打ち出の小槌のような好条件で、こんなうまい儲け話はなかったといえる。