欧米の人からすると、「竜宮城」という名前から、浦島太郎がドラゴンと戦って乙姫を救い出す冒険譚かと期待されるらしいが、冒険して幸せになるどころか、悪いことをしたわけでもないのに寂しいエンディングを迎えるのである。

 さらに本書では、日本では歴史的に「奥」が大事にされてきたと指摘している。住宅で「奥の間」が最も重要な部屋になっていたり、神社などでは、長い参道の「奥」に本殿があり、時にそこまでの道がクネクネと曲がりくねったりして簡単にたどり着けなかったりする。

 それに対し、西洋的価値観では「上」が重んじられるという。指導層は「上層部」にいて、皆が一生懸命働き「上」を目指す。会社でも社長室や重役室などは最上階にあることが多い。

 西洋は「もっと上へ」、日本では「さらに奥へ」の精神性がある、ということだ。首脳会議を「サミット(頂上)」と呼ぶ西洋と、「奥の院」で権力闘争を繰り広げてきた歴史を持つ日本。死後に、上空の「天国」に行くことを願う西洋と、三途の川の「奥」にある彼岸に向かう日本。いろいろなところにこの違いが表れている。

アイドルを「推す」
日本人の心理とは?

 ここで、冒頭のアイドルグループやJ-POPアーティストの話を、ここまで紹介した日本文化の特質に結びつけてみる。

 アイドルグループで言えば、さすがに40人以上もいるグループでは、歌番組などで全メンバーにスポットライトが当たることはない。たとえ、各メンバーの個性が際立っていたとしても、だ。

 ステージの隅で踊っている、あまりテレビカメラに映らない彼・彼女らは、失礼ながら、アイドルに詳しくない一般視聴者にとっては「いてもいなくてもいいのにいる」存在かもしれない。

 だが、古事記の神々と同じく、彼・彼女らにはもちろん価値がある。熱心なファンが必ずいる。

 ソロアーティストであれば、その人自身にスター性があり、外見・歌唱・ダンスなどに秀でていなければ、とても生き残ってはいけないだろう。しかし、大人数グループでは、必ずしもそうとは限らない。スター性のある中心メンバーの陰に隠れながらも、必死で努力している姿が共感を呼び、ファンに「推して」もらうことができるのだ。

 また、人気女性アイドルグループである乃木坂46は、『乃木撮』という写真集をこれまでに3冊出しており、いずれもベストセラーを記録している。この写真集は、メンバー自身が、楽屋などの様子をお互いに撮影したプライベートショットをまとめたものだ。被写体であるメンバーはお互いにふざけ合ったりしているが、特に踊ったり、歌ったり、モデルのようにポーズをとったりしているわけではない。いわば、そこに「いるだけ」なのだ。

 さらに言えば、アイドルグループの歌唱時のフォーメーションを考えてみてほしい。「奥」に向かって広がっているだろう。もちろん、センター、フロントに人気メンバーが配されるのだが、奥にいるメンバーには、コアなファンがついている。つまり、アイドルにのめり込むほど、「奥」に向かうことになるのだ。

 アイドル業界の序列の「上」にいる人気メンバーだけではなく、「奥」で支えるメンバーや、そのありのままの姿を大切にする文化が日本にはある。このことは、実は古事記の時代から変わらない伝統なのかもしれない。