野球より大変?
サッカー指導者になるためには
JFAが発行する公認指導者ライセンスを、アマチュアチームを対象としたC級を皮切りに、アマチュアチームへ質の高い指導ができるB級、全国レベルで指導ができるA級ジェネラル(以下・A級)と順次取得。しかもB級とA級の間に加えて、A級取得後も1年以上の指導実績を積まなければならず、数年単位の時間をかけた先に初めて最上位となるS級の養成講習会を受講する資格を得られる。
もっとも、あくまで資格であり、実際に養成講習会を受講するには実技実践と面談で構成されるトライアルに合格しなければいけない。S級養成講習会の受講者は16人から20人で、そこへA級取得者が数百人単位でトライアルへ申請してくる。文字通りの狭き門だ。
23年度のS級養成講習会受講者数は上限の20人。そのなかに憲剛氏と内田氏、さらには日本代表として活躍し、W杯の舞台にも立った大黒将志氏や明神智和氏も名を連ねた。
日本の公認指導者ライセンス制度を簡単に振り返れば、1995年までは2週間の集中講義でS級ライセンスを取得できた。さらに2008年まではB級取得者で、日本代表として国際Aマッチ20試合以上に出場した元選手らが飛び級でS級養成講習会を受講できた。
しかし、2009年以降はC級からB級、A級、そしてS級と段階を踏んで取得する現行のプロセスが定められた。これは飛び級での受講を認めていない、アジアサッカー連盟(AFC)が公認および発行する指導者ライセンスとの互換性を持たせるための制度変更だった。
セカンドキャリアの一つに指導者を位置づけているJリーガーは、現役時代の晩年にB級までを取得しているケースが多い。A級になると養成講習会で拘束される日数が一気に増えるため、日々のトレーニングを含めた現役生活との両立が極めて困難になるからだ。
しかし、憲剛氏は引退した時点でB級はおろか、C級も取得していなかった。その理由を「選手心理として、二の足を踏んでしまった感じでした」を苦笑しながら振り返ったことがある。
「引退する前にB級まで取得しておけ、という話になるんですけど、ちょっと嫌だったんですよね。現役でいる間に指導者ライセンスを取りにいくのは、何だか現役の終わりを考えることになるので」
憲剛氏の場合、引退直後の20年度中にC級ライセンスを取得すれば、翌21年度からB級を受講する道が開けた。今年度にはA級を取得し、満を持してS級取得に臨む心境を「順調に来られている」と表現したが、ここで忘れてならないのはJFAによる制度改革となる。