「こんなものやらせてたまるか」というわけだ。「マーケティング=金儲け」というのが当時の職員たちの一般的な理解であり、ほとんどの職員が「自分たちは市民のために働く公僕であり、金儲けなどとんでもない」と誤解していた。もちろんマーケティングをしっかりやると利益が出たりもするのだが、マーケティングの本来の狙いは顧客サービスである。経営学の泰斗、ピーター・ドラッカーはこう言っている。

“実のところ、販売とマーケティングは逆である。同じ意味でないことはもちろん、補い合う部分さえない。もちろん何らかの販売は必要である。だが、マーケティングの理想は、販売を不要にすることである。マーケティングが目指すものは、顧客を理解し、製品とサービスを顧客に合わせ、おのずから売れるようにすることである。”

 これは企業活動を念頭に置いた言葉だが、「顧客」を「市民」と読み替えれば、マーケティングとは「市民を理解し、行政サービスを市民に合わせ、自ずから利用されるようにすること」となる。市民を理解し、押し付けなくても利用される行政サービスを提供している自治体には顧客=市民が集まる。

 マーケティング課を立ち上げる準備の段階で、職員が用意したマーケティング課の所掌事務は、「企業誘致」になっていた。旧態依然の考えから抜け出せない職員たちの意識を変えるため、井崎自身が講師となり「マーケティングとは何か」を理解するための勉強会を半年間続けた。

 2004年に発足したマーケティング課の課長は民間から公募した。井崎は採用にあたり「打たれ強いこと」を最大の条件にした。市役所内の反発のすさまじさが想像できたからである。

 初代マーケティング課長に就任したのは埼玉県坂戸市在住で、外資系企業の社長経験もある51歳の男性。任期は2年、最長5年とした。民間人を職員として期間採用するのは千葉県でも初の試みだった。

 井崎は初代マーケティング課長にこう言った。

「何があっても打ち勝つつもりでやってほしい」

 マーケティングの基本は誰に何を訴えるかである。「公平」を前提にする自治体運営ではこれがなかなか難しい。「誰に」とターゲットを絞った段階で、それ以外の人々が対象から外れるからだ。

 財源が無制限にあるのなら「市民の皆様」がターゲットでも良いだろう。だが財源には限りがあり、皆様のために広く薄く使ったのでは結局、何もしていないのと同じことになってしまう。井崎は言う。

「マーケティングがないと、起きた問題に対処するだけになります。陥没してから道路を直す。これは『対策』。設計強度や交通量といったデータをもとに陥没を予測して事前に整備する。これが『政策』だと考えます」

 道路の陥没という同じ事象でも、対策より政策の方が社会的損失が少なく、かかるコストも安くなる。データを駆使して5年後、10年後を予測し、問題が顕在化する前に先手先手で政策を打っていく。それを具体化するのがマーケティング課であり、その司令塔になるのが自治体経営のトップである市長なのだ。