「一般の人たちに医療情報をやさしく伝えたい」。SNSで情報発信を続ける有志の医師4人(アカウント名、大塚篤司外科医けいゆうほむほむ@アレルギー専門医病理医ヤンデル)を中心にした「SNS医療のカタチ」。2022年8月「SNS医療のカタチ2022~医療の分断を考える~」というオンラインイベントが開催された。
生まれてから死ぬまで、どんな形であれ「医療」というものに関わらない人は一人としていないだろう。にもかかわらず、わたしたちと「医療」の間には多くの「分断」が存在する。そしてその「分断」は、医療を受ける人にも医療を提供する人にも大きな不利益をもたらすことがある。今ある「分断」をやさしく埋めていくために、また、「分断」の存在そのものにやさしく目を向けるために必要なこととはーー。イベントの模様を連載でお届けする。5回目は、吉村昇洋氏(曹洞宗僧侶)、西 智弘氏(緩和ケア医)、たられば氏(編集者)、市原真氏(病理医)、浅生鴨氏(作家)が「医と生老病死」について語り合った。(構成:高松夕佳/編集:田畑博文)

【医と生老病死・僧侶も医師も編集者も作家も一緒になって考えた】人はどのように人生を終えるのだろう?Photo: Adobe Stock

まともな入口はわずか2割

浅生鴨(以下、浅生):「医と生老病死」をテーマに医者が現役のお坊さんにお話を伺う、毎年恒例のセッションです。3回目の今回お話を伺うのは、曹洞宗普門寺副住職の吉村昇洋さんです。

吉村昇洋(以下、吉村):よろしくお願いいたします。

浅生:昇洋さんは曹洞宗八屋山普門寺の副住職でありながら、臨床心理士として単科精神病院にも勤務され、テレビやラジオに出られたり、コラムや本を書かれたりと、多方面で大活躍をされてらっしゃいます。そのエネルギーはどこから湧いてくるのですか?

吉村:一言で言うと、仏教は本当に面白いんですよ。でもその面白さが残念ながら、あまり伝わっていない。私の感じる面白さをちゃんと伝えたい、というところでしょうか。

浅生:市原先生は、面白いポッドキャストをお聞きになったそうですね。

市原真(以下、市原):朝日新聞ポッドキャストのシリーズ「お坊さんに聞け」の1つを拝聴しました。まさに「面白いを伝えたい」という熱意が前面に出ていて、びっくりしました。

 お坊さんだから仏像や念仏の話かなくらいの浅い理解で聞いたら、とんでもない。今流行の「異世界転生」ものの漫画を楽しみまくったコメントが次から次へと飛び出して、どハマりしましたね。

四苦と向き合うことで感じる生のダイナミズム

浅生:昇洋さんは著書で「気にしない生き方」を提唱されています。普段生きている中で、僕らは果たして「生老病死」を気にしないでいられるものでしょうか。

吉村:タイトルは私がつけたわけではないんですけどね(笑)。ただ、「気にしない」というワードをフックに、しっかり気にしてほしいという気持ちもあって。

 「生老病死」の「生」はよく「生きる苦」と誤解されるのですが、正しくは「生まれる」「生じる」の意味です。生じること、老いること、病になること、死ぬこと。人間が生涯で通る営みの話なのです。この4つの苦をしっかり見つめなければ、生はダイナミックなものにならないと考えます。

 人間の文明は、死を排除し、この先もずっと生きていくことを前提にすることで発展してきたわけですが、それだけではなく、人間の営みに欠かせない「死」もしっかり見つめていこう。他者の死から想像することも含め、自分の死という決してわかり得ないものを捉えようとし続ける姿勢を保とう、というのです。

 決してわかりえない、という点が重要です。死は自らが経験しない限りわからないし、経験してもわからないかもしれない。だからこそ、死とは何かを捉えようと試み続ける営みが重要になってくる。

 「生老病死」は「四苦」とも呼ばれますが、仏教の中心テーマであるこの「苦」は、単に苦しいということではなく、すべてが自分に起きる、自己の思い通りにならないことを指すのです。それらを日常の中でしっかりと見つめよう。私の本では、そう提唱しています。

浅生:「生老病死」とは、人間が必ず通る人生のチェックポイントのようなものなのですね。