人類史を変えた衝撃の論文

 もう1つ。私がこれまでに掲載した論文の中で、「最もエキサイティングなものは何か」という質問もよくもらいます。答えは即答です。2004年に発表された「ホモ・フロレシエンシス」という非常に奇妙な化石に関する論文です。今から一万二〇〇〇年くらい前、地球上に暮らしていたこの人類は、身長は1メートル以下で脳の大きさもチンパンジーほどでしたが、道具を使っていたようなのです。石器で狩りをし、火も使っていました。まるでファンタジーに登場するホビットのようです。

 この小さな人類は、ごく最近までインドネシアに住んでいました。この論文は、人類学を完全に変えました。私は、この論文を送ってくれた研究者を知りませんでした。しかし、それが他の様々なことにつながったのです。

 私はある学会に出席していました。アメリカのアトランタで行われた大きな学会でした。1週間近く続いたので、私はかなり疲れていました。そして最終日の夕方、翌日チェックアウトして飛行機で帰ろうと思っていました。

 しかし、最後の一杯を飲みにバーに行って、ナイトキャップとして、本当に軽く飲んでから寝ようと思ったのです。バーには、オーストラリア人が大勢いました。

 早く寝たいなら、バーで大勢のオーストラリア人と一緒に酒を飲むのはおすすめしません(笑)。酒が進み、私はインドネシアのフローレス島(※ホモ・フロレシエンシスの化石が発見された島)に誘われ、翌年か翌々年には行きました。そこでさらに多くの人と知り合うことができました。

 研究者との出会いは、研究室や現場での出会いが一番。研究者を自然体で見ることができます。

物事を速やかに終わらせる

 ネイチャーは「元」科学者の編集者によって運営されています。科学者たちによる「編集委員会」が何を出版するかを決めているのではありません。すべて私たち編集者次第なのです。

 そして、私たちはどちらかというと破壊的です。私たちは大きな自由を手に入れています。

 科学者は自分の研究を送るとき、誰がそれを審査するのか心配しますよね。私たちが査読に出すのは、送られてきた論文の20%だけ。

 残りのほとんどは(内容自体は)全く問題ないのですが、おそらく狭い専門家の関心事であったり、分野を大きく前進させるものではなかったりします。しかし、論文を査読に出す場合は、査読が公正かつ公平に行われるよう、細心の注意を払っています。

 誰かが論文を送ってきたときに、その論文の査読者としてふさわしいと思われる人たちのリストを教えてくれるのは、とてもありがたいことです。

 これは有用なリストで、私たちはそれに注意を払うかもしれませんし、払わないかもしれません。もう1つ、論文を送ってほしくない人たち、つまり「競合他社」のような人たちをリストアップすることができます。

 ただ、あまりに多くの除外項目がないことが条件です。たとえば、ある人が「この論文は北米の誰にも送らないでくれ」と言ってきた。そこで、私たちは、「そのリストは多過ぎます。もっと具体的に教えてください」と返事をしました。

 すると、実際に送ってほしくなかったのは一人だけだった。私たちは常にそれを尊重し、大きな問題に遭遇しないように配慮します。もちろん、私たちが選んだ査読者の中に、なんらかのバイアスがかかっている可能性もありますが…。

 そういった査読者が使う手口の一つは、レポートを送るのをどんどん遅らせて、自分の仕事を先に出版できるようにすることです。しかし、私たちはこういったことに対してかなり賢明です。私たちは、彼らが使うトリックを知っていますし、物事を速やかに終わらせるためにベストを尽くしています。

ネイチャーの現在

 現在、ネイチャー誌を紙で買って読んでいるのは図書館員です。というのも、大学ではネイチャーを機関購読しており、図書館システムで誰でもコンテンツにアクセスすることができるから。ですから、私たちは今でもネイチャーを紙で印刷しています。

 しかし、ほとんどすべての人、何千万人もの人はオンラインで見ているので、実際には紙の読者はかなり稀なことなのです。

 現在ではネイチャー誌の紙の印刷版は5万部ほどだと思いますが、「遺産」としての意味合いから発行しています。状況は変化しています。私が入社した当時は、紙の雑誌しかなかったんです。

※本原稿は、2022/9/2に熊本大学国際先端医学研究機構で開催された第19回「SCIENCE and ME」の著者講演を元に、再編集、記事化したものです。
協力:熊本大学国際先端医学研究機構(IRCMS)

【世界の知性の白熱講義】人類史を変えた「最もエキサイティングな論文」とは?ヘンリー・ジー
「ネイチャー」シニアエディター
元カリフォルニア大学指導教授。一九六二年ロンドン生まれ。ケンブリッジ大学にて博士号取得。専門は古生物学および進化生物学。一九八七年より科学雑誌「ネイチャー」の編集に参加し、現在は生物学シニアエディター。ただし、仕事のスタイルは監督というより参加者の立場に近く、羽毛恐竜や最初期の魚類など多数の古生物学的発見に貢献している。テレビやラジオなどに専門家として登場、BBC World Science Serviceという番組も制作。このたび『超圧縮 地球生物全史』(ダイヤモンド社)を発刊した。本書の原書“A(Very)Short History of Life on Earth”は優れた科学書に贈られる、王立協会科学図書賞(royal society science book prize 2022)を受賞した。
Photo by John Gilbey