地球を30億年以上も支配している微細な生物。宇宙でもっとも危険な物質だった酸素。カンブリア紀に開花した生命の神秘。1度でも途切れたら人類は存在しなかったしぶとい生命の連鎖。地球が丸ごと凍結した絶滅から何度も繰り返されてきた大量絶滅。そして、確実に絶滅する我々人類の行方……。
その奇跡の物語をダイナミックに描きだした『超圧縮 地球生物全史』(ヘンリー・ジー著、竹内薫訳)を読むと世界の見方が変わる。読んでいて興奮が止まらないこの画期的な生物史を翻訳したのは、サイエンス作家の竹内薫さんだ。
そこで、「まるでタイムマシンで46億年を一気に駆け抜けたような新鮮な驚きと感動が残った」とあとがきにも書いている竹内さんに、本書の魅力について語ってもらった。今回は、生物の進化に革命を起こした臓器についてお伝えする。
(取材・構成/樺山美夏、撮影/梅沢香織)
肛門が生物史に革命をもたらした
――本書を読んでいて最初に「へぇ~!」と思わず声が出たのは、39ページの「ミミズのような生き物が「肛門」を持つようになったことで、生物圏に革命がもたらされた」の一文でした。
竹内薫(以下、竹内):最初はクラゲみたいに、口から栄養分を入れて口から老廃物を出す動物しかいなかったんですよね。そこに肛門を持つミミズたちが現れた。
肛門から出される排泄物は固形のペレット(粒)に濃縮されるので、海底に沈みます。すると、それまで排泄物が溶け出して濁っていた海がきれいになり、海底に沈んだ排泄物を分解する微生物も増えました。
肛門の発達によって前が「頭」、後ろが「尾」となって、進行方向がはっきりしたのもすごく大きいですね。
動物が前に進めるようになったのは、肛門のおかげなんですよ(笑)。
――他にも生物の進化を加速させた臓器がいくつか出てきます。印象に残っているものはありますか?
竹内:恐竜が巨大になった要因の「気嚢(きのう)」と呼ばれる呼吸器官の機能にも驚きました。恐竜が吸い込んだ空気は、肺を通ってこの全身に張り巡らされた気嚢に送りこまれていた。
そのおかげで、大量の酸素を消費しながら大きな体で活動するエネルギーを維持できたんですよね。
気嚢には、エネルギー活動によって生じた余分な熱も発散させる、冷却作用の効果もあったため体に熱がこもることもありませんでした。
おまけに空気で満たされた恐竜の体は見た目ほど重くなく、活動的に生活しながら巨大化することができたわけです。
――その恐竜の気嚢を受け継いでいるのが鳥類です。
竹内:ジュラ紀になると小型化する恐竜が出てきて、巨大化した恐竜とは反対に体温を保つため皮膚の羽が増えていきました。
さらに大型の恐竜たちに狙われないように木の上で生活することもあった。そのうち羽の生えた翼を使って飛ぶ方法を見つけたものがいて鳥になっていったわけです。
気嚢を持っている鳥は体が軽くてエネルギー効率がいいから、恐竜の最終進化形ですよね。
空を飛べるとどこにでも逃げられるので、ある意味、人間より進化していると言えると思います。
ヒトの脳が発達した理由
――私が特に注目したのは「脂肪」です。脂肪にも重要な役目があると知って、ちょっと安心しました(笑)。
竹内:脂肪はある程度は蓄えていないと寒い時期に生き残れません。
一般には脂肪を減らすことが正しいとされていて、僕も気にしてはいますけど、脂肪があることは生きるうえでメリットでもあるんですね。
もちろん脂肪が多くなり過ぎると、別の問題が生じる可能性も出てきますけど。
――もうひとつ、ほ乳類に「乳房」ができて赤ちゃんを母乳で育てるようになった理由もはじめて知りました。
脳の発達にともない、体内で孵化した赤ちゃんをギリギリまで育てたほ乳類は、出産したあとも栄養たっぷりのお乳で大切に育てるようになった、と。
竹内:脳の発達のため、少ない数の赤ちゃんを体内で育ててから豊富な栄養分のあるお乳を与えて、少数精鋭方式で成長をうながす戦略をとったわけですよね。
そのほうが親は集中して育てられるし、子どもの脳も発達して生きる力を身につけて親離れできますから。
ただし妊娠中に脳が大きくなり過ぎると母親の命が危なくなるから、ギリギリのタイミングで産まないといけなくなった。
赤ちゃんとお母さんが生き残りをかけた時間が妊娠期間なんです。
耳の小さな穴は魚のエラの名残
――それが十月十日(とつきとおか)なんだと思うと感慨深いです。
竹内:もうひとつ、本書を訳しながら、僕が興味を持ったのは「顎」の進化です。もともとは魚のエラをつくっていた軟骨が、舌や咽頭を支える顎の骨へと変わり、やがて鼓膜と中耳をつなぐ骨の役目も果たすようになった。
これはおもしろい! と思ってインターネットですぐ調べたんですよ。そのエラの名残りと言われているのが、ヒトの耳の付け根にある小さな穴です。
医療用語では「先天性耳瘻孔(せんてんせいじろうこう)」と呼ばれている穴で、5~10%くらいのヒトにあるらしいです。
――確かに! 耳に小さな穴がある人いますね。生命が海で誕生した証を今も体に刻んでいるなんて、なんだか神秘的です。
竹内:大昔から進化してきた動物の臓器や部位の集大成が、我々人間につながっていると考えるとすごいことですよね。
2022年のノーベル生理学・医学賞を受賞したスバンテ・ペーボ教授は、我々ホモ・サピエンスの多くは、ネアンデルタール人の遺伝子を受け継いでいることを発見しました。
特にヨーロッパとアジアの人はかなりの割合でネアンデルタール人の遺伝子を持っているので、「脳」も同じように彼らから受け継いでいるわけです。
脳の進化はメリット、デメリットがある
――ネアンデルタール人が絶滅したあと出現したホモ・サピエンスが言葉を操るようになって、脳の進化が加速したと言われています。
数ある臓器の中でも脳こそが人類に革命をもたらしたのではないでしょうか。
竹内:確かに、人類の脳は特殊な進化をしてきたと思います。
でも鳥類の脳もものすごく進化していますから。
人類の脳だけが一番進化しているかというと、決してそんなことはないでしょうね。
たとえば高い上空から獲物を見つけて、急降下して捕まえるハヤブサや鷹がいますけど、あんなこと人間にはできません。
もちろん、他の動物にも人間とは違う能力があるので、すべての生き物はそれなりに進化の頂点にいるんです。
生物史を読むときは、そういう観点が重要ですね。
――ヒトの脳がもっと進化してもっと賢い人が出てきたら、地球上のさまざまな問題を解決する発明をしてくれるかも?と思うのは、バカバカしい考えでしょうか。
竹内:僕はいつも思うんですけど、どんな物事にもメリット、デメリットがあるんですよ。
もしも脳が進化してすごい発明をする人が出てきたとしても、おそらくそれを悪用する人間が出てきます。
ノーベルが発明したダイナマイトがまさにそうで、人類を助けるために発明したはずのものが、戦争に悪用されれば大勢の人を殺してしまうわけですから。
あるいは、今はもう世界中が核兵器だらけで、一斉に発射したらそれこそ人類の全滅です。
でもロシアのウクライナ侵攻を見ていると、その可能性がゼロではないですよね。つまり、テクノロジーが進歩して科学技術が進歩すればするほど、軍事兵器も威力が増していくわけです。
そういうことを考えると、脳の進化が必ずしも人類にとって良いことだとは言い切れないでしょうね。
【大好評連載】
第1回 【東大卒サイエンス作家が教える】生物史は大量絶滅の連続…人類が絶滅する決定的な理由とは?
一九六〇年東京生まれ。理学博士、サイエンス作家。東京大学教養学部、理学部卒業、マギル大学大学院博士課程修了。小説、エッセイ、翻訳など幅広い分野で活躍している。主な訳書に『宇宙の始まりと終わりはなぜ同じなのか』(ロジャー・ペンローズ著、新潮社)、『WHOLE BRAIN 心が軽くなる「脳」の動かし方』(ジル・ボルト・テイラー著、NHK出版)、『WHAT IS LIFE? 生命とは何か』(ポール・ナース著、ダイヤモンド社)などがある。
著者略歴:ヘンリー・ジー
「ネイチャー」シニアエディター
元カリフォルニア大学指導教授。一九六二年ロンドン生まれ。ケンブリッジ大学にて博士号取得。専門は古生物学および進化生物学。一九八七年より科学雑誌「ネイチャー」の編集に参加し、現在は生物学シニアエディター。ただし、仕事のスタイルは監督というより参加者の立場に近く、羽毛恐竜や最初期の魚類など多数の古生物学的発見に貢献している。テレビやラジオなどに専門家として登場、BBC World Science Serviceという番組も制作。このたび『超圧縮 地球生物全史』(ダイヤモンド社)を発刊した。