幕末の武士の生活は
どう変わったのか

 それでは、今度は幕末にどうなったかを、松本潤之介の息子で1825年頃に生まれた松本左内が明治初年に回想した形で紹介してみよう。

 私の父の潤之介はペリー来航(1852年)の5年前に隠居して桜田門外の変の年(1860年)に死んだ。私は京の町が物騒になってきたので応援に行かされたが、同僚で勤王の志士ともめて命を落とした者もいた。一方、藩内には勤王派も増えて重役たちも困っていた。

 藩内での仕事もややこしくなり、身分は低くても実力派が取り立てられるようになった。特に、勘定方とか儒者、剣術指南など、手に職を持っているものたちが重宝され、庶民が武士に取り立てられることもまれだが出てきた。忙しいので服装も実用的な羽織袴が主流になった。

 教育熱もエスカレートして、息子は江戸に出て学問をしたいとかいっていたが、我が家には余裕がなかった。長州攻めの時は出征したものの小競り合いに参加しただけだったが、王政復古になると、なんと譜代筆頭の彦根藩が新政府側について幕府と戦うという。

 我が藩でも、慌てて新政府に殿様が挨拶に行き、藩内では安政の大獄の時に罰せられた人々が重役になり、罰した方は隠居させられ、自害に追い込まれた方もいる。戊辰戦争が始まると、息子の勝輔が志願して出征して会津で戦って凱旋(がいせん)してきた。戦死した者も10人ほどいたので運が良かった。

 廃藩置県になると、新政府で仕事をもらえたのは数人に1人なのだが、息子は関東地方で警官の仕事をもらった。