「見た目は変で、しゃべりも下手、お笑い芸人としての才能もない」と思いこみ、コンプレックスのかたまりだったスリムクラブ・内間政成さんは、そんな自分を人に知られないように、自分の本心を隠し、見栄を張って、いつわりの人生を送ってきました。しかし、それはどうしようもなく苦しかった。自分で自分を否定しているようなものですから。
ある出来事をきっかけに、内間さんは自分自身と向き合い、自分という存在を少しずつ受け入れられるようになっていきます。その結果、何が起きたのか。今まで自分の欠点だと思い込んでいたことが、そうじゃないことがわかってきました。自分の欠点を「欠点だ」と決めつけているのは、他の誰でもない、自分自身だったのです。
「僕はカッコ悪い」「僕は人をイラつかせる」「僕は恐れ過ぎている」「僕はすぐ調子に乗る」「僕は怠け者」と、自分の欠点をさらけ出せるようになった内間さんはいま、ストレスフリーの時間を楽しそうに生きています。そんな内容の詰まった本が、内間政成さんの書籍等身大の僕で生きるしかないのでです。無理やり自分を大きく見せるのではなく、等身大の自分を受け入れれば、人生は好転する。そのためのヒントを本書からご紹介します。(撮影・榊智朗)

自分らしく生きるために、僕が手放したこと

他人と比べてしまう「僕の悪い癖」

 昭和生まれの僕は、男性は男らしく女性は女らしくあれと教えられてきました。しかし最近では、ジェンダー問題が加速し、性別を超えた平等が求められています。

 僕にとっては、とても好ましい時代がやってきたと思っています。なぜなら僕は男らしくないからです。ちなみに僕が思う男らしくとは、筋力や統率力がある人です。僕にはそれらが欠けています。

 45歳の僕は、これまでの人生で自分の筋力を感じたことがありません。学生時代はかなりスポーツをしてきたのですが、それでもありません。体育の鉄棒では、筋力は必要ないと聞いたことはありますが、逆上がりをしたことがありません。ほとんどの人ができているのに自分ができないと惨(みじ)めになりますね。

 腕相撲も同世代には、勝ったことはありません。「には」というのは、二回り以上下の年齢の人には勝ったことがあるという意味が含まれています。ある時期には、憧れの筋力を手に入れるためにジムに通ったこともありましたが、自分を統率できない僕は、少し汗ばんだら帰るという無駄使いをしてしまい、次第に通わなくなりました。

 そして、もうジムに通うことはないと思っていたのですが、42歳の頃にご縁がありパーソナルジムに通うことになりました。あのパーソナルジムですよ。常にパートナーが側にいるので、自分を統率できない僕にとって最高の環境です。

 再三発破(はっぱ)をかけてもらい頑張りました。また筋トレだけでなくプロテインも取り入れました。ところが一向に筋力が付きません。どうしてだろう。そんなときにトレーナーさんが急に、「内間さんって、ハードゲイですね」と言ってきたのです。耳を疑いました。こういう話題に敏感なこの時代にこの人は何を言っているんだ! と、目が点になりました。そして、そう見えたかもしれませんが違いますと否定もしました。

 しかし実は僕の聞き間違いで、実際は「ハードゲイ」ではなく「ハードゲイナー」と言ったそうです。そしてその単語は、筋肉が付きにくい人のことを言うらしいです。ただ、筋肉が付かないということではありません。じっくり時間をかけていけば問題ないのですが、僕はまた自分の欠点を見つけてしまったという気持ちになり落ち込みました。

僕には統率力がありません。異常に仕切れません。

 僕は、こういった外見的欠点だけでなく内面的欠点にも悩まされてきました。

 僕には統率力がありません。いわゆる仕切れません。異常に仕切れません。どんなに小さなコミュニティ、例えば、家族でさえも仕切れません。いつも嫁が仕切ってくれます。そんなときに自分の無力さを感じ悲しくなります。

 そもそも仕切れない性格なだけと言われればそれまでですが、僕には「一家の大黒柱」のイメージがあります。大黒柱が中心となり家族という船の舵を取るという。だから僕は無理してでも頑張って仕切ってみようと思いました。

無理は良くない

 ある日、僕が率先して夕ご飯を作ることを提案しました。それを聞いた嫁と娘は、そんな珍しいこともあるんだねと喜んでくれました。早速準備に取りかかりました。さて何を作ろう、買い物にでも行こうかなと考えていると、そこに嫁が「冷蔵庫の中にも材料があるから、使えるのがあるなら使ってね」と言ってきたのです。

 そのとき僕は、「はっはーん。そっちの方が冷蔵庫も整理ができて喜ばれるな」と思い、冷蔵庫を開くとそこで野菜と魚を見つけました。使えそうだな。また、その日はかなり寒かった。ということは、鍋にしよう。迷いがありません。気持ちも乗ってきました。味付けは素材の味を活かして薄味にし、ポン酢でさっぱりといただく鍋。我ながら完璧です。

 そして家族で鍋を囲んで、いざオープン。イエーイ! ところが、中身を見た嫁の表情がガラリと変わりました。そして静かに、「この魚は何?」と言ってきたのです。有頂天の僕が自慢げに「冷蔵庫にあった魚」と答えると、嫁が「何でそれを鍋にするのー!!」と高らかにブチギレたのです。僕の中ではその質問に対する答えは「魚だから」でしたが、誰がどう見ても言える状況ではありませんでした。

 理解不能の中、よくよく嫁の話を聞いてみると、その魚は高級な銀ダラで、煮付けにしようと考えていたそうです。とにかく嫁は怒っています。でも取り返しがつかない。何も言えずにいると、突然そこに当時6歳の娘が入ってきて、「パパを怒らないで。パパはただできないだけだから」と言ったのです。複雑でした。助け舟に引導(いんどう)を渡された感じです。でもそのおかげで空気が和み、銀ダラ鍋を食べ始めることができました。

 こういう経験を経て感じたことは、無理は良くないなということです。好きで男らしくを発揮するのは構いません。ただ無理をすると良からぬ結果が舞い込みます。

男らしく生きるのを手放してみた

 僕はある時期から男らしく生きるのを手放そうと思いました。では何らしく生きるのか? それは自分らしくです。僕の場合は、内間らしくです。内間らしくとは物事に対して適当に生きることです。

 先日、家族でキャンプに行きました。仕切りは当然、嫁。キャンプの場所決め、キャンプ用品の準備、食事の買い出し、テント設営、キャンプ場までの運転、全て嫁がしました。

 あっ、でも僕の名誉のために言いますが、一つ仕切りました。それは、キャンプ場の駐車場からテント設営の場所まで車で行かなければならないのですが、その道路の幅がかなり狭いのです。しかもバックで運転しなければなりません。そこは僕が、車の後ろに回り「オーライ! オーライ!」と誘導しました。

 どうですか? 男らしくないでしょ? でもこれが僕らしくなのです。そして仕切るのが好きなのが、嫁らしくなのです。

 それぞれが素直に「らしく」で生きるのが、幸せではないでしょうか

 ちなみに、早速家族で「必ず来年もキャンプに行こう」という話になっています。

自分らしく生きるために、僕が手放したこと内間政成(うちま・まさなり)
芸人。スリムクラブ ツッコミ担当
1976年、沖縄県生まれ。2浪を経て、琉球大学文学部卒業。5~6回のコンビ解消を経て、2005年2月、真栄田賢(まえだ・けん)とスリムクラブ結成。「M-1グランプリ」は、2009年に初めて準決勝進出。2010年には決勝に進出し準優勝。これをきっかけに、人気と知名度が上昇。「THE MANZAI」でも決勝進出。2021年1月、「2020-2021ジャパンラグビートップリーグアンバサダー」に就任。