家康が埋葬されている
久能山東照宮
もうひとつ静岡に残る家康の痕跡が、駿河湾に面した日本平の中腹にある久能山東照宮だ。東照宮とは東照大権現たる徳川家康を祭る神社の総称で、全国に数百社が建立されているが、そのうち日光は総本宮、久能山は全国東照宮の創祀との位置付けだ。
家康は生前、「遺体は駿河国の久能山に葬り、江戸の増上寺で葬儀を行い、三河国の大樹寺に位牌を納め、一周忌が過ぎて後、下野の日光山に小堂を建てて勧請せよ、関八州の鎮守になろう」との遺言を残していた。
遺言に従い家康は久能山に埋葬され、秀忠が日光山と久能山に東照宮を創建した。将軍や大名・公家にとどまらず、武士や庶民等、多くの人が参詣した、いわばパブリックな場としての日光東照宮に対し、久能山東照宮は徳川家以外の入山が認められないプライベートな場であった。
国宝指定されている築400年を超える本殿からさらに登ると、家康の墓である神廟を参拝できる。家康の遺体は立った姿で西の方を向いて埋葬されていると伝わる。東照宮によれば家康の視線の先には、家康の両親が子授け祈願をしたとされる鳳来寺、松平家の菩提寺大樹寺、そして朝廷のあった京都が直線上にあるという。
そんな都合のいいことがあるのかと思い、地図に印をつけてみれば、なんと見事につながるではないか。当時の測量技術でどこまで意図したものかは分からないが、久能山が特別な場所であることは伝わってくる。
久能山に行くには日本平の頂上からロープウエーで山を下るか、駿河湾側の久能山下から1159段の石段を登るかのどちらかしかない。健脚な人は創建以来の表参道であり、駿河湾の眺望を楽しめる石段コースに挑戦するのもいいだろう。
家康の功績のひとつが東海道の整備だ。古代、中世から東西を結ぶ重要な幹線道路との位置付けだったが、1601年に宿駅伝馬制度が敷かれたことで近世の東海道が成立したとされる。
家康は西の京都と東の江戸を結ぶ東海道、そしてその中間に位置する遠江・駿河を重視した。そしてこれが国土軸となり近代以降、鉄道・新幹線、高速道路が整備され、今や東海道は日本の人口、GDPの6割を占めている。
そう考えたとき、東海道を素通りするリニアは日本近世・近代の400年以上の歴史から見て異質な存在であり、静岡県民が本能的(?)に反発するのも分からないでもない。とはいえ東海道新幹線と言いながらも、東京・名古屋・大阪の都市間を直結する「のぞみ」利用がほとんどで、需要に応えるためには静岡の各駅を通過せざるを得ないのが実情だ。
これがリニアに転移すれば、静岡や浜松に停車する列車の増発が可能になり、東海道新幹線本来の役割がよみがえる。そのためには静岡県内の需要を喚起する必要があり、観光利用は有力な選択肢となる。
地域のために共に汗をかいて、小さくとも成果が出た実績があれば、JR東海と静岡はもっと歩み寄ることができるだろう。それこそが冷えた政治を温める近道だ。