ネット上の不意打ちから心を守るヒント
それではこのような不意打ちにあってしまった場合、私たちはどのように心の対処をすればよいのだろうか。
鴻上氏は「復讐をずっと考えることは、保田さん(相談者・仮名)の人生を台無しにすると思います」とつづる。
実際、過去の被害については証拠が乏しいことの方が多い。あったとしても、それを公表して断罪を求めるのは、行う側にもそれなりのリスクがある。相手が有名人の場合は「文春砲」や、告発系インフルエンサーへのタレコミが考えられるかもしれないが、それなりの証拠がなければ難しいし、告発側も詮索されるため、もろ刃の剣である。
その人物に同じように被害に遭っていた人がいれば、お互いにつらい思いを語って鬱憤を晴らすこともできるかもしれない。しかし、運良くそのような相手がいる人ばかりではないだろう。
鴻上氏の人生相談は、「焦らず、ゆっくりと、気持ちを吐き出していって下さい」で締められている。悔しい、悲しい、つらいという感情を遠慮がちな人ほど押し込めがちだが、それを何らかの形で出していかないと、いつまでもわだかまりが残ってしまう。
今回、この相談者の女性は、このように相談をして鴻上氏から回答をもらい、さらにネット上で多数の共感や励ましの言葉がかけられたことにより、少しは前進がかなったのではないだろうか。楽観的すぎるかもしれないが、ネットを通じての承認のメリットとは、このような点にあるのではないかと思う。
たまに匿名ダイアリー(匿名の日記サイト)などに、自分のつらさや悩みを書きつづる人がいる。ネット上には心ないコメントもあふれているが、過去のいじめや体罰、親からの虐待、経済的困難……といった事情には、比較的温かい励ましも多い。人に伝えるために文章を書くためには、自分の中で経緯をまとめ、それなりにわかりやすい構成に仕上げなければならない。ひとりよがりなところがあると、突っ込まれやすい。
テキストではなく、ツイッターなどで拡散されやすい漫画やイラストを描く人もいる。そのような文章・漫画をまとめる中で、自分の中で過去の清算ができることもあるだろう。ネット上で公開せずとも、まずは自分の手元で書いてみるのでも、よいかもしれない。
「吐き出し方」は人それぞれだが、酔っ払って記憶をなくすよりはまだ、「書いてみる」「描いてみる」の方が、危険度は低そうだ。
何かと殺伐としがちなネット上ではあるが、ときとして人々の善意や励ましが集まることもあるだろう。