「聖地」という言葉の重みは個々で異なることが論争の原因
「聖地」とはどんなものをイメージするだろうか。
ある人はメッカのように、信者たちが毎年ある時期になると、大挙して巡礼に押し寄せる光景を思い描く。信者が誰しも憧れる地で、教団としてもそこを拠点に勢力を拡大してきた事実もある。当然、周辺住民たちも「ここはそういう場所」という認識を持つ、という「自他共に認める聖地」である。
一方で、もっとゆるい「聖地」を連想する人もいるはずだ。その団体から「神」として崇められるような人が、若い時に住んでいたとか、悟りを開いたなどという“ゆかりの地”的なスポットだ。信者は教祖のことを愛してやまないので、その足跡はすべて聖なるものになる。少しでも教祖を感じたくて個人的に現地に赴く。これは人気マンガやアニメの舞台をファンが訪ね歩く「聖地巡礼」と似た感覚だ。
このように「聖地」イメージに、人によって大きな開きがあることが今回のののしり合いの原因ではないか、と個人的には思っている。
どういうことか、他の宗教を例に説明しよう。例えば、幸福の科学では故・大川隆法総裁が生まれた四国・徳島が「聖地」となっており、教団としても以下のように巡礼を呼びかけている。
こういう施設があって信者が押し寄せることは当然、周辺住民なら知っている。だから、もし有田氏がこの地から立候補して、「徳島は幸福の科学の聖地」と叫んだところで、「まあ、そうですけどね」という感じで、あまりいい気分はしないが住民も批判しないだろう。
だが、今回、有田氏の「下関は旧統一教会の聖地」「この土地から自民党との癒着が全国に広がっていった」と叫ぶと、一部の下関市民や下関出身の田村さんはカチンときて批判をした。
なぜかというと、彼らの中で下関は「そういう類の聖地」ではないと思っているからだ。