『独学大全──絶対に「学ぶこと」をあきらめたくない人のための55の技法』著者の読書猿さんが「勉強が続かない」「やる気が出ない」「目標の立て方がわからない」「受験に受かりたい」「英語を学び直したい」……などなど、「具体的な悩み」に回答。今日から役立ち、一生使える方法を紹介していきます。
※質問は、著者の「マシュマロ」宛てにいただいたものを元に、加筆・修正しています。読書猿さんのマシュマロはこちら

「空気を読めずに破滅する人」が、今すぐ知るべき社会の仕組み【『独学大全』著者が教える】Photo: Adobe Stock

[質問]
「コミュ障の一生」というツイートが流れてきました。

1.空気を読もうと頑張る
2.「正しさとか実は論理等じゃなく、感情や雰囲気で決まってる?」となる
3.そういうモノと割り切り、心を無にして周囲に合わせようとする
4.感情や雰囲気の裏側にある相応の合理性や根拠が見えてくる
5.それらを上手く掴めぬ自分に疎外感を覚え、1に戻る

 このループから脱出するには何をすればいいのでしょうか?

空気は読まず、デュルケムの「儀礼論」を読んでください

[読書猿の回答]
 空気ではなくデュルケム(『宗教生活の基本形態』上下巻)を読めばよいと思います。集団にまま見られる理解しがたい不合理な慣習は、ほぼ彼の儀礼論で説明でき、予測できます。

 たとえば社交界で取り交わされる「たわいもない」会話(その内容、登場する固有名詞や隠語)は、部外者にとっては風変わりで無意味です。
 科学者たちが交わす専門用語にもそんなところがあります。両者に共通なのは、だからといって、部外者には容易に真似することができないことです。

 たわいもない会話は、社会をなりたたせ、また内/外を峻別する会話儀礼である。科学者たちは専門用語の交換を「科学的真理」とその正確な(真理にふさわしい)伝達に不可欠なものとなります(理解できない我々にとっては呪文のようですが)。

 社交人たちは、不躾なよそ者を排除し、自らの洗練された有り様を「卓越化」(これがここでの「聖なるもの」だ)するためにそうする。育ちの良さや家庭環境、培われた人脈がもたらす情報が、そうした会話儀礼には、必要なのです。

 コトバだけではありません。立ち振る舞い、エチケットといったものも、交わし合われます。ここでも「同じ儀礼を行う者は、同じ集団に属する。同じ儀礼を行わないものは、その集団に属さない」が明らかになります。ブルデューは、こうした卓越化(のための儀礼)に必要なリソースを「文化資本」と呼びました。

 特殊なコトバを交換して仲間意識を生み出すことは、どんな小集団でも行われています。
「上流社会」の会話儀礼が質が悪いとしたら、より大きな社会の中にも影響力を持ちます。その集団内の人たちばかりでなく、他の人々にとっても、「上流社会」の会話は「上品」で「文化的」なのです。
 したがって、多大なコストを支払ってでも、上昇したい中流階級は、「上流社会」を真似しようとします。そして「上流社会」では、中流階級が、たとえば「上流社会」の流行を真似し出した時には、次なる流行にくら替えする。中流階級は永遠に追いつけない。

 あるいは、「上流社会」で、あえて労働者階級のファッションが流行したことがありました。中流階級は、自分たちより「下」のそのファッションを真似るか真似ないかで悩んだ。これは後に、パンク・ファッションと呼ばれたものです。
 加えて「文化資本」の所有者たちは、それによって可能となる儀礼によって、独自のネットワークを作り上げ、「経済資本」へのアクセスが容易になります(そのネットワークである種の接近機会を独占している、といってもいい)。

 なぜ人々は上流社会と関わりを持ちたがるのか。それが実質的な(つまり経済的な)富へアクセスする重要なルートだからです。
 誰もがある儀礼を行えるわけではありません。
 それ故に儀礼リソースの独占は、階層分化を、ときに支配-被支配の関係をも生み出す。つまり「たわいもない」会話儀礼は、単に集団を分けるだけでなく、その分割を階層化する一端を担っているのです。

 詳しくは、こちらのブログ記事をどうぞ。