「公平」という名の呪縛
この全社的公平感というのは厄介だ。同じ会社の仲間でありながら、ある部署では朝から夜まで働く状況にあって、隣の部署では皆が9時~5時で働いていると、それだけで不協和音が生まれる。
しかし、ある世代までの多くの日本人に骨の髄まで染み付いた横並びの感覚がある。同じ釜の飯を食べ、同じ時間だけ働き、共に喜び共に悲しみ、成功も失敗も共有する仲間というのが、郷愁感漂う(昭和的な)美しい会社のイメージである。
一人ひとりが自分の役割を最適な方法(他者とは当然異なる)で、別の場所で勝手に動きながらも、全体としては成果を上げるというやり方は嫌われる。隣の振る舞いがどうしても気になるのだ。
確かに高度成長期の企業では、そのやり方が非常にうまく機能していたし、製造業を生業としていれば、その主体となる工場は一斉に稼働させるから、「みんな一緒」という働き方に合理性はある。
そのようなことから、全社で画一的にどの働き方を選ぶかを決めようとする。隣の部署はずっとリモートワークでやっていると聞いただけで、不公平といって騒ぐ人がいるのだ。そして、不公平はダメだと反射的に判断する人たちがいる。
その結果、本来は職務内容に合わせて決定すべき働き方が全社的に一元運用されることになる。そうすると、“組織の中枢”や“組織の主流”の価値観が意思決定に色濃く反映される。場合によっては、年齢的要素も性別的要素も関係してくる。中枢や主流以外の人にとっては、不幸せな結果となってしまうのだ。
昔なら、職場にいないと連絡が取れないから、皆が出社する必要はあったが、今はどこでも可能だし、そもそも部署を超えた連絡は基本的にはまずはメールだ。よって個別の部署ごとに最適化した働き方を選択しても特段の問題はないはずだ。
つまり、最適化を考える上での最大の障壁は、皆が必要と考えている“公平感”になるのだ。
ただ、そもそも、この“公平感”を重視する必要はあるのだろうか。もちろん、徐々に意思決定層も若返りが進んでいるから、“公平感”の担保が第一に考慮されることは徐々になくなるだろうが、一度冷静に考え直してみたほうが良いだろう。
(プリンシプル・コンサルティング・グループ株式会社 代表取締役 秋山 進、構成/ライター 奥田由意)