さらに、こんな一文も同時に記載されている。

払込金の安全性
 お払込みは、第一銀行新宿支店以外では扱いません。お預かりした払込金は、工事の進捗に応じて、間組、東京コープ、第一銀行が話し合いの上、支出することになります。それ以外は一切第三者の管理下におくことになっています。

 建物が完成するまでは一切の財務的責任を背負っていた第一銀行だが、完成して分譲先がほぼひと通り決まってしまった後は、所有者の判断によって多くの金融機関が関わるようになった。その際に大きな影響力を持ったのが、地域に根づいていたかつての「野方信用組合」、当時の「協立信用金庫」、現在の西武信用金庫だった。

 バブル経済到来前夜という時代の追い風はあったにせよ、まんだらけに限らず、西武信用金庫にお世話になったブロードウェイ出店者は多いという。

 まんだらけは1階に次いで人通りの多い3階に進出した。中野サンモールからブロードウェイに入ってすぐのメインエスカレーターは3階まで一気に到達する。そのエスカレーターの真横に新たに旗艦店となる約20坪の自前の店舗を手に入れたのだ。棚も、床も、さらには天井も赤く染め上げた。店頭にはモニターを設置して、アニメや特撮を流し続けた。

 開店初日は衝撃的だった。

 何の宣伝もしていなかったのに、開店前から店の前には行列ができていた。開店と同時に店内になだれ込む客の群れ。それは1日中途切れることはなかった。すぐにレジの中には一万円札があふれた。それを何度も、何度も回収する。

 周りの店は「まんだらけのレジの音が鳴りやまない」と感嘆するようになる。

 閑古鳥が鳴く状態だった中野ブロードウェイに新たな展開が訪れようとしていた。古川さんが言っていたように、凋落傾向にあったこのビルに、まさに「大事なカンフル剤」となったのである。

 まんだらけの勢いは、ここからさらに増すことになる。

 さらに2年後の86年には、売りに出ていた隣を買収して一気に60坪に拡大。現在の本店が完成した。すでに4階の空き物件は倉庫として購入していた。以降、空き物件が出るたびに次々と出店していく。