冒頭で紹介した泉麻人の文章にあるように、それはまるで「アメーバーの如く」、増殖していったのだった。取り扱う商材もどんどんどんどん細分化していった。同じ3階には、女性もののマンガやポスターなどを取り扱う「レディース館」をオープンし、4階には全国の同人誌や戦前、戦後の希少本を扱う「マニア館」も開業する。
さらに4階には、古川氏の指導によって誕生した、「姉妹店」とも言うべき、精神世界関連の書籍を集めた「大予言」をオープン。この店名も「音占い」により古川さんが命名したものだという。「スペシャル館」ではアニメ、ヒーロー物のTOY、ガレージキット、プラモデル、CD、LDを扱うことになる。
「細分化せざるを得なかったんです。ブロードウェイ内で大きなスペースは、3階の《明屋書店》さんしかないので。だから、どこかのスペースが空いたら、そこを借りて新たなカテゴリーの販売をする。そんなことの繰り返しでした」
90年に僕は晴れて中野で独り暮らしを始めた。大学ではミニコミ誌を作り、アルバイトとしては週刊誌やアダルト本のライターを始めていた。その際にブロードウェイは本当に頼りになった。
長谷川晶一 著
新聞、雑誌記事が充実している国会図書館や大宅文庫に行く前に、まずは中野ブロードウェイをチェックするのだ。アニメ、特撮はもちろん、昔のテレビドラマ、映画、男性、女性アイドル、J-POP物の資料はだいたい、ここで揃った。
この本の執筆に関しても同様である。
まんだらけの成功に端を発して、次々とサブカルチャーを取り扱う店舗が増えていったのもこの頃のことだった。80年に中野ブロードウェイに進出したまんだらけの多大なる影響により、90年代の訪れとともに、ここは「サブカルチャーの聖地」に変貌を遂げたのである。