「四十にして惑わず」と述べたのは孔子だが、『頭のいい人が話す前に考えていること』の著者である安達裕哉氏はコンサルタントとして数多のビジネスパーソンと対峙する中で「多くの人が40才で人生の転機を迎える」とつくづく思ったそうだ。それは40才が「ようやく自分のことがわかる年」だからだ。本記事は「今年1位かも」と話題沸騰中の書籍『頭のいい人が話す前に考えていること』には入りきらなかった「その後の人生を左右する、40才で考えておくべきこと」について記述した。

頭のいい人が話す前に考えていることPhoto: Adobe Stock

 40才前後の人に話を聴くと「40才は人生の転機なのだな」とつくづく思う。

「ようやく自分のことがわかる」のが40才なのだ。

 孔子は「四十にして惑わず」と言ったが、自分のことがわかれば、惑うこともないのだろう。

 具体的には以下の8つのことを多くの人が悟る。

 これは同時に、40才以降を豊かに生きるために、考えておくべきリストでもある。

① 40才は「会社の中で出世ができるかどうか」がわかる

 40才になる、会社内での評価はほぼ固まる。この時期に高評価を受けていなければ、部長、役員になれる見込みはない。つまり出世しない。

 ヒラ社員や課長に徹するか、それとも一念発起して独立するか、新天地を見つけるべく努力するか。いい加減、40にもなれば決めなければならない。

 これ以上先送りできないのが、40才なのだ。

② 40才は「自分の苦手なことと得意なこと」がわかる

 40才ともなれば、自分の得意なことと不得意なことはわかっている。今更不得意なことに手を出しても、卓越することはできない。

 若い時は時間を投入することで克服できたことも、体力の低下で無理することもできない。

 不得手なことは人と協力し、得意なことを伸ばすことを決める。それが40才だ。

③ 40才は「肩書ではなく何をやったかだ」と知る。

 40才になると、「肩書」や「所属する会社名」などは、ほとんど何の意味もない事に皆が気づく。そして「何を成し遂げたか」が問われ始める。

 40にもなって所属する組織名を誇らしげに語るようでは、小物扱いされるのは当然だ。

 20代であれば「オレは◯◯という会社で働いている」、「リーダーになった」が自慢ともなるが、30代は実質的に成果を出しているかどうか、40にもなれば「お前は何を成し遂げたのだ」と聞かれる。

 学校を卒業してから15年以上たち「卓越した人」は、世に聞こえるような仕事や作品を残している年だ。逆に「与えられたこと」しかやってこなかった人は、今もなお小さい世界にとどまっている。

 自分のやったことについて、ごまかしが効かないのが40才だ。

④ 40才は、どんな人であっても「上には上がいる」と感じる

 40才にもなると、「その道の一流の人」と触れ合う機会が訪れる。同年代にもちらほら「一流の人」が出てくる。

 比較することに意味があるかどうかはさておき、そんな時には自分と人と比べてしまうのが人間だ。

 そして「上には上がいる」と感じるのが40才だ。

 奢りは消え、謙虚さが身につき「丸くなってきたね」と言われるのが40才。逆にそうでなければ成長しているとはいえない。

 上には上がいる、だからこそ頑張る意味があるのだ。

⑤ 40才は「このまま逃げ切ろうとする人」と「本当のチャレンジをしようとする人」に分かれる

 40才になってきて、ある程度周りの評価が固まってくると「このまま逃げ切ろう」という人と、「更に上を目指そう」という人が分かれてくる。

 前者は「今まで身を粉にして働いてきたのだから、そろそろ楽がしたい」という人々。

 後者は「今までの修行期間を生かして、もっと大きくなろう」という人々。それからは「もっと厳しい目標を建てよう」という志向になる。

 どちらを選んでも構わない。それを選択するのが40才だ。

⑥ 40才は「結局、家族や友人が最も大事だ」と気づく

 20代から働き始めて、仕事の中で知り合った人が、40才の今、どれだけ関係が続いているだろうか?

 もちろん多くの人と付き合いが続いている、という人もいるが、大半は「人生でたまたますれ違っただけ」という感じだろう。

 結局あなたの人生において晩年の「あまり調子の良くない時」を一緒に過ごすのは、家族であり、友人なのだ。

 彼らを疎かにすれば、あなたは一人で老いを迎えなければならない。

 そのことに気づくのも40才だ。

⑦40才で、努力の意味をようやく知る。

「所詮、努力しても報われないんでしょう」と若い頃はだれでも思う。そして、それはそのとおりになる。大抵の人は金持ちになれず、名誉も手にすることができない。

 だが、40才になればそんな瑣末なことはどうでも良いこととなる。

 努力は人に言われてやるものではない、と気付き「私がそうしたいから」というだけで努力できるようになるのが、40才だ。

⑧ 40才で、真の感謝を知る。

「皆に感謝」という言葉を口にしても、感謝していることにはならない。それは単に自分を鼓舞するために、自分に向けて言っているだけだ。

 だから、経験が浅く、若い時の感謝は「感謝の気持ちを示すことが、自分にとって何かしらのメリットを生む」という期待のもとにおこなわれる。

 だが、40才にもなると「なんでこうなったかよくわからないけど、あの人も私と同じくらい努力していたのに、何故か私だけ結果が出た。たぶん偶然だ。何かいたたまれない。」という気持ちが生まれる。

「あんな良い人が、不条理な目にあっている。何か申し訳ない気持ちになった。」ということもあるだろう。

 そして何かに感謝したくなる。その気持ちが湧くと

「私が一人で受け取るにはもったいない、誰かに分けてあげなければいけない」

「私がこれだけ受け取ったのだから、だれもやりたくないだろうけど、私がやらなければ」

「運が良かった。これはたまたまそうなっただけのことだから、皆でわかちあうべきだ」

「あの人を助けなければ」

 と、居ても立ってもいられなくなる。それが40才だ。

「オレが努力したから、能力があったから」と40才にもなっていっているようでは、未熟という他ない。

 

 まとめると、40才で以下のことを悟り、決断できるかが、その後の人生を豊かに生きれるかを左右する。

① 出世を目指すのか、ヒラに徹するか、新天地を目指すか
② 自分の得意なことと苦手なこと
③ 今までで成し遂げたことは何か、そしてこれから何を成し遂げたいのか
④ 上には上にいる、だからこそ頑張れるか
⑤ このまま逃げ切るか、本当のチャレンジをするか
⑥ 人生を共に過ごしたい人は誰か
⑦ 人に言われないでも、やりたい努力はあるか
⑧ 口先だけでなく、心から感謝できるか

安達裕哉(あだち・ゆうや)
ティネクト株式会社 代表取締役
1975年生まれ。筑波大学大学院環境科学研究科修了後、理系研究職の道を諦め、給料が少し高いという理由でデロイト トーマツ コンサルティング(現アビームコンサルティング)に入社。品質マネジメント、人事などの分野でコンサルティングに従事し、その後、監査法人トーマツの中小企業向けコンサルティング部門の立ち上げに参画。大阪支社長、東京支社長を歴任したのちに独立。現在はマーケティング会社「ティネクト株式会社」の経営者として、コンサルティング、webメディアの運営支援、記事執筆などを行う。また、個人ブログとして始めた「Books&Apps」が“本質的でためになる”と話題になり、今では累計1億2000万PVを誇る知る人ぞ知るビジネスメディアに。Twitter:@Books_Apps