「フィリピンの方は、何語で話しているんだい?ええっと…タガログ語だったっけ?」

「分かりませんよ!そのなんとか語と英語が混じっています。そんな人に口座開設なんか無理です!」

 後に知ったが、フィリピンではタガログ語と英語が混在した「ピジン・イングリッシュ」を使う人もいる。19世紀末から20世紀初頭にかけて、アメリカがフィリピンを植民地化していたことにも由来があるかもしれない。なお、ハワイでも「アロハ」といったハワイ語と英語が混じった言語を「ピジン・イングリッシュ」と呼んでいる。

「英語が分かるんだったら、できるんじゃないの?向こうだって、日本であれば英語なら通じると思って、必死に伝えようとしているんだと思うよ。それとさ、英語が分からないのは我々窓口の努力不足、怠慢と言われても仕方がないよね?」

「じゃあ課長がやったらどうです?努力不足ですいませんね!」

 キレてしまった。篠部さんの欠点だ。なんとかしてあげようと思う前に面倒になり、投げ出してしまう。現在、新卒採用の若者は簡単なビジネス英語、銀行の窓口に来た外国人へ対応できるスキルはある。だが、毎日同じような窓口業務を繰り返している中で、自分に足りない能力を指摘されると、逆ギレしてしまう部下をたくさん見てきた。

 全員がそうだと言っているわけではない。もちろん、多くの資格を取得し、自分磨きに努力している人だっている。しかし、実務だけを身に付け業務をこなす者に対しても、安定した給料が支払われる。そうすれば、努力しようとするマインドも薄れていくのかもしれない。

 だが、窓口業務は客商売である。常識外れでマナーも至らず、知識も不足しているのであれば、なぜこの仕事を続けているのかと問いたくさえなる。対応が面倒だからという理由は、言い訳にしかならない。

頼りにしたのは
スマホの翻訳アプリ

「俺がやるよ」

「課長、英語話せるんですか?」

「ゆっくりしゃべってもらえたら分かるかもしれないさ。なんとかなるよ」

 課長代理がため息をひとつ吐き、いつもの彼女の口癖でボヤいた。

「そう言うと思いましたよ」

 ボヤくものの、私の考え方やポリシーをしっかり理解している良い部下だ。まずは一言文句を言うところに人間味を感じる。私はいつもより早く家路に就き、途中のターミナル駅にある大きな書店で、ビジネス英会話の本を立ち読みした。

「そうは言ったけどさ…」

 つい独り言をつぶやいてしまう。

 本を読んでも、まあ、頭には入らない。「なんとかなるよ」すなわち「なんとかしなくてはならない」と大風呂敷を広げたことを後悔した。再び電車に乗り、スマホで検索する。

「銀行 窓口 英語 明日までマスター」

 検索でヒットしたのは翻訳アプリだった。早速インストールして試す。

「預金口座を開設したい」
「I want to open a savings account」

「本人確認資料を見せてください」
「Please show me your identification document」

 おお、いいじゃないか…。本当に「なんとかなり」そうな気がしてきた。