信康事件で注目すべき
家康と信康の年齢差

 この信康事件について、今回、あまりされてこなかった視点を、提供したい。それは、家康と信康の16歳という年齢差についてである。

 徳川家康は、1543年の生まれで、信康は1559年の生まれである。これは、戦国時代といえども異例の若さだ。織田信長と信忠が24歳差、今川義元と氏真が19歳差である。徳川家は、家康と父親の広忠が17歳差、広忠と広忠の父である清康とは15歳差だから、代々、早熟、かつ、子だくさんの家系である。

 このような年齢差の少ない父子であると、どうしても兄弟に似たような関係になりやすく、父子がライバルになることが多いようにみえる。

 家康は側室でもない下働きのお万(「どうする家康」では松井玲奈が演じている)に手をつけたところ、男子が生まれた。たが、家康は、自分の子かどうか確信がなかったらしく、のちに福井藩主・結城秀康となるこの子との父子対面を渋った。それを、信康が哀れんで強引に父子対面をさせたというエピソードがよく知られているが、このあたりも年齢差の小さい父子ならではである。当然、城内にも入れてもらえず、正室にふさわしい扱いをされていなかった母親の処遇などについても、意見をいっていたであろう。

 これと関連して、戦国武将の初婚年齢を見ると、徳川家康が14歳(諸説ある)、織田信長が15歳、今川義元18歳、武田信玄13歳などである。徳川信康と五徳はそれぞれが9歳の時に結婚しているが、最初の子が生まれたのは18歳である。

 このあたりになると、結婚というより、養女にもらって育てて結婚させるイメージだ。徳川秀忠の次女の珠姫は3歳で前田利常と結婚して14歳で第1子を出産しているが、この場合は半ば徳川家から前田家への人質ともいえる。

 秀忠の長女の千姫が豊臣秀頼と結婚したのは、7歳の時だが実質的な夫婦関係の成立は16歳の頃のようだ。もし、二人に子どもが生まれていたらさまざまな妥協案もあり得ただろうが、大坂冬の陣開戦までには2年しか時間がなかった。

 また、足利将軍と徳川将軍のうち、父親から直接に将軍位を引き継いだ将軍と父親との年齢差を調べてみると、足利将軍では、尊氏と義詮が25歳差、義詮と義満が23歳差、義満と義持が28歳差、義政と義尚が32歳差、義澄と義晴が31歳差、義晴と義輝が25歳差である。

 徳川将軍では、家康と秀忠が36歳差、秀忠と家光が25歳差、家光と家綱が37歳差、吉宗と家重が28歳差、家重と家治が25歳差、家斉と家慶が20歳差、家慶と家定が31歳差である。