資産運用業が金融界で
覇権を握るのは歴史の必然
銀行から投資銀行、そして資産運用会社へという金融界の覇権の移行は、歴史の必然である、と私は考えています。すなわち、資本主義が高度に発展・進展すると、金融資本主義に進み、そこでは富の蓄積が行われ、最も効率的な利益創出である資産運用が行われるようになります。
ピケティ氏の「r>g」という不等式において、「r」を受け取ることができるのは投資のリスクを取っているファミリーオフィス、ソブリンウエルスファンド、年金基金、大学基金などのアセットオーナーです。そして、セームボートマネーやプロフィットシェアリングの形で(欧米の)資産運用会社もその「r」の成長の恩恵に与ることができる立場にいます。
同じ金融機関でも、経済成長「g」を裏で支える銀行業は金利という定額の収入しかなく、それを超える上振れメリット(アップサイド)を享受することはできません。
また、証券会社は、企業の成長率「g」が株式や債券という有価証券に形を変えていくプロセスには株式増資や債券発行の引き受けという形で関与しますが、その株式や債券が生み出すリターン「r」を受け取る立場にはありません。
実は、資産運用業が金融機関の序列の最上位にいる状況は欧米先進国だけに限りません。
中国や中東の諸国も早くから「r>g」の不等式に気づき、ソブリンウエルスファンドという名の国営の資産運用会社を立ち上げ、最優秀の人材をここに投入して国富を増やしてきました。
たとえば、シンガポールの国家予算の4分の1は、同国のソブリンウエルスファンドの1社であるGICによる運用収益で賄われている状況です。つまり、シンガポールでは政府そのものがアセットオーナーとなって、「r」のメリットを享受し、国家予算を厚くしています。その結果、シンガポール国民も「r」の恩恵に与っている、と表現することもできます。
このように、欧米先進国や一部中進国においては、「r>g」という「ピケティの不等式」のメリットを貪欲に追求するアセットオーナーやそのおこぼれに与ろうとするアセットマネージャーがおり、各企業はこうした機関投資家から選ばれようと成長戦略を磨き、ROE(自己資本利益率)などの資本効率を高める努力をしています。
これが、金融資本主義が発展した社会の姿です。