「幸福」を3つの資本をもとに定義した前著『幸福の「資本」論』からパワーアップ。3つのの資本に“合理性”の横軸を加味して、人生の成功について追求した橘玲氏の最新刊『シンプルで合理的な人生設計』が話題だ。“自由に生きるためには人生の土台を合理的に設計せよ”と語る著者・橘玲氏の人生設計論の一部をご紹介しよう!

「統計的に正しいことが、個人にとって正しいとは限らない」問題

 統計的に合理的な意思決定をする場合、それを何度でも繰り返せるのなら、長期的には結果は平均へと回帰していくので、じゅうぶんなデータと正しい計算によって、最大の利益/効用を確実に獲得できる。

 だがここには致命的な障害がある。統計的に未来を予測できるケースはほぼすべて計算しつくされてしまっていて、残っているのはデータが足りないとか、繰り返しの試行ができないとか、統計学がうまく使えないケースばかりなのだ。これが「合理的意思決定理論は役に立たない」という苦情の山を生み出すことになる。

 経営学の教科書では、商品Xと商品Yのどちらを開発するかという問題を、それぞれの商品を販売したときの期待値(平均的な利益)とリスク(最大の利益と最大の損失)があらかじめわかっていることを前提に説明する。しかし現実には、それがわからないからこそ、どの企業も苦労しているのだ。

 さらには、すべてのデータが揃っていても選択が困難になるケースがある。新型コロナのワクチンをめぐる混乱もその一例だった。

「統計的に正しいことが、個人にとって正しいとは限らない」という問題Photo :artswai / PIXTA(ピクスタ)

 ワクチン接種には副反応が避けられず、発熱や倦怠感、頭痛などの症状が表われることがある。いずれも数日で収まるが、まれに重篤化するおそれがある。

 しかしその一方で、コロナウイルスに感染すると、若者では無症状や軽症のことも多いが、高齢者や持病があるひとは死亡したり、回復しても後遺症が残ったりする。この両者を天秤にかければ、社会全体としてはできるだけ多くの対象者がワクチンを接種し、感染を抑制することに大きな利益があることは間違いない。さらに個人にとっても、ワクチンを接種して強い副反応が出るリスクと、コロナに感染して重篤化するリスクを天秤にかければ、平均的にはワクチン接種の利益の方が大きい。

 これが「合理的意思決定」で、そのことに納得したからこそ、多くのひとが率先してワクチンを接種した。しかしどれほどわずかでも、ワクチン接種にリスクがあることは否定できない。それが0・1%なら1000人に1人、0・01%なら1万人に1人だが、自分が運悪くその1人にならない保証はない。

 交通事故の死者は一貫して減ってきているとはいえ、日本ではいまだに毎年2000人以上が死亡している(2022年は2610人)。これはワクチンの副反応のリスクよりもはるかに大きいから、「ワクチンは危険だ」という論理を一貫させれば、交通事故はもっと危険なので、家から出ることすらできなくなってしまう。

 しかしそれでも、両者には明らかなちがいがある。交通事故の場合は、車を運転しないとか、道路を渡るときは必ず横断歩道を利用するとか、個人の努力でリスクを減らす方法がある。それに対してワクチン接種は「不幸の宝くじ」のようなもので、個人では対処のしようがない。

 わたしたちは、自分で管理できる(と思っている)リスクを小さく見積もり、自分ではコントロールできないリスクを大幅に高く見積もる。交通事故のリスクはさして気にしないが、ワクチンの副反応はものすごく怖いという感情は、論理的には正当化できないが進化的には合理性がある。

 このようにして、「統計的に正しいことが、個人にとって正しいとは限らない」という状況が生じるのだ。

※この記事は、書籍『シンプルで合理的な人生設計』の一部を抜粋・編集して公開しています。

橘玲(たちばな・あきら)
作家
2002年、金融小説『マネーロンダリング』(幻冬舎文庫)でデビュー。『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』(幻冬舎)が30万部の大ヒット。著書に『国家破産はこわくない』(講談社+α文庫)、『幸福の「資本」論 -あなたの未来を決める「3つの資本」と「8つの人生パターン」』(ダイヤモンド社刊)、『橘玲の中国私論』の改訂文庫本『言ってはいけない中国の真実』(新潮文庫)など。最新刊は『シンプルで合理的な人生設計』(ダイヤモンド社)。毎週木曜日にメルマガ「世の中の仕組みと人生のデザイン」を配信。