JR東京駅へ乗り入れ案もあった!? ゆりかもめ延伸
1995年、ゆりかもめの新橋駅~有明駅間が開業した時点では、その先の豊洲駅への延伸はもちろん、勝どき駅への延伸や、さらに東京駅あるいは有楽町駅への延伸、乗り入れが検討されていた。ところが、交通量の多い道路である銀座通り、清澄通りなどでの高架工事は困難が予想され、勝どき駅からさらに都心部への建設は棚上げに。有明駅~勝どき駅間の計画だけが残った。
残り区間のうち有明駅~豊洲駅間は、00年に国の答申(運輸政策審議会答申第18号)での実質的な“お墨付き”(評価「A1・目標年次までの整備が妥当」)を得たこともあり、06年に開業した。同様に「A2」(目標年次までに整備着手)との評価を受けていた豊洲駅~勝どき駅間も、この時点では「いずれ延伸されるだろう」という扱いを受け、豊洲駅からの延伸を見越したカーブ部分が建設された。
なお、将来の延伸を見越した鉄道建設は珍しいことではない。例えば都内では、多摩都市モノレール線(東大和市の上北台駅~多摩市の多摩センター駅)が、上北台駅の先に、武蔵村山方面への延伸を見越してカーブ部分を建設されている。
しかし実際には、豊洲駅~勝どき駅間の延伸は、なかなか具体化しなかった。00年代、豊洲一帯は石川島播磨重工(現在のIHI)の造船所跡地を再開発中で、その先の晴海地区は、かつての貨物線跡地が残っていた。タワマンも、まだほとんど建っていなかった。中央区議会でも「(ゆりかもめ延伸に対して)そこまで期待していない」といった発言が出るなど、否定されもせず、推進もされず、という状況が数年間続いていたようだ。