経験や感じ方も人それぞれだから
「こうやったほうがいい」は言わない
荒木 僕は「今日の講義のポイント」のようなラーニングポイントを絶対言わないようにしているんです。
学ぶ側にとっては、ポイントを示してくれたほうが安心な気がするものです。でも僕が最後に言うのは「今日の講義のまとめはこれです」ではなく、「今日は何を学びましたか?」なんです。教えた「A」でなく、「B」を受け取ってもいい。極端な話、「授業中、窓の外の小鳥のさえずりがふと耳に入って、その音からこういうことを学んだ」であっても構いません(笑)。
成績をつけるのも、テストの点数ではなく、アウトプットそのものや、授業中の発言などを注意深く観察します。ですから、成績をつけるのはもちろん、むちゃくちゃ大変ですよ。習熟度を測るテストで機械的に判断したほうがよほどラクです。
田中 戦後の一時期は、国民全体の教育水準を上げるために、教師はきっちりとしたカリキュラムに沿って教え、生徒たちの到達度をテストで数値化して評価した。そうしたシステムが効率もよく、かつての日本にはそれが必要でした。
ただ、時代が変わってもいまだに、その形が「学ぶこと」だと思われている。今、ChatGPTなどの生成AIも浸透してきて、「学ぶこと」の根本的な再定義が必要になっているのだと思います。
荒木 本の中でも、「それっぽい一般論」ということに価値はないということを語りました。今やそれっぽい一般論はAIが示してくれる。となると、独自の経験を積み重ねてきたあなたが、独自に感じ取ったこと、他者やAIが言えないこと、そのことにしか価値はありません。そのメッセージは日増しに重くなっていると思います。
例えば、シェイクスピアの『ヴェニスの商人』の感想をAIに聞くと、「3つの重要なポイントがあります。1.◯◯◯、2.◯◯◯、3.◯◯◯」と瞬時に出してくれます。しかも、人間が答えるよりよほど的確にです。ですから、これまでのように、何かの作品や事象に関する一般的な解釈を言語化するという行為には、付加価値はなくなってきているんです。そうなると、その人独自の経験を踏まえた、他の誰にも言えない解釈にしか価値が宿らなくなる。
田中 マーケティングを学んで、恋愛のテクニックに活かす、こうした発想こそが大事になるんですね。
荒木 つらい恋愛経験をしていないと出てこない、その人自身にしか出せない答えだからこそ、意味がある。
田中 そのためには、自分で理解の「抽象度」を意識的に変えられるようにならなければいけませんね。マーケティングというテーマの話の内容を、抽象度を上げて理解し、その上で、恋愛というテーマまで抽象度を下げる。これができたからこそ、恋愛のテクニックを学べたと感じる。これからの学びは、単に事例や単語を覚えるだけではなく、「抽象度」をコントロールしながら理解しなくてはならないですね。
荒木 それが本の中でも書いた、「抽象筋肉」なんですよ。
田中 本で使われている「筋肉」という表現は良いですね。私も英語で「英語筋肉」という表現を使います。それは、経験で鍛えられる。
荒木 でも、実際の筋肉と同じで、そんなに簡単には身に付くものではありません。自身の経験を顧みてもそうです。僕自身は、「セミナー現場」という公衆の面前で、多くの人とライブ形式の対話を繰り返すことで、この「抽象筋肉」を鍛えてきました。
例えば、質疑応答で、自身の話を長時間、演説してしまう人っていますよね。そんなときは、会場の空気がちょっと弛緩(しかん)してしまう。その空気を変えるためには、その演説を一言で抽象化して、「つまりこういうことですよね。これと同じ問題意識を持っている人、いますか?」と、抽象化して、会場に投げかけてみるわけです。そうすれば、一気に場が引き締まる。僕はこれを、20代後半から、仕事上のサバイバルとして日常的に行ってきたことで、「抽象筋肉」を鍛えることができました。
ですので、「抽象筋肉」を身に付けることが簡単にできるなんて無責任なことは言えません。「あなたもできるよ」と言いたい一方で、これだけ積み重ねてきてようやくたどり着いた境地だからこそ、そんなに簡単ではないこともわかっている。そうした側面は常にあります。でも、誰でも今日から意図を持って鍛えることはできます。
田中 何十年もいろいろとやってきた結果が今なので、安易に誰でもできるとは言いづらい。そうしたジレンマもあるのですね。
荒木 そうですね。でもやるなとは言いたくないので、門戸を開くんです。門戸さえ広げれば、各自が楽しんで取り組むうちに、いつのまにかトレーニングされて、研ぎ澄まされていくという側面があると思います。
ですので、「僕はこうやっています、以上」とだけ伝えるようにして、「こうやったほうがいいですよ」とは言わないんです。
田中 その場合、往々にして、世の中的には受けはよくないですよね(笑)。「こうやれば誰でも3日でできるようになります」と皆、言ってほしいし、そう書けば、私たちの本だってガンガン売れるのでしょうけど(笑)。
荒木 仕事で営業を担当していたとき、営業の本質は「クロージング」にあるのに、それが苦手でした。悩んでいるお客さんに対し、営業の最後にちょっと強引なくらいに「これ、絶対買ったほうがいいですよ、僕が保証します」と踏み込んでクロージングしたほうがいい場合があります。それを最後に言われると「じゃあ、買おうかな」とお客さんは思うケースがあるでしょう。でも、お客さんとそういう関係性をつくるのがイヤだったんです。
多くの人は、「これがいいですよ」と言い切って、安心させてほしい。でもそこは僕はフラットな関係でありたかった。そういう変なこだわりがあったから、営業としてはうまくいきませんでしたが(笑)。
田中 買うかどうかはあくまで自分自身が決めること。私も、英語学習について「私はこうやりました」までしか言えません。根本的に、自分の価値観で他人のことは決められないと思っているんです。「押し付けられるものが学びではないんだ」という冒頭のお話ともつながっていますね。
荒木 そう、そこまでその人なりの経験をしてきたからこそ、何をどう感じるのかはわからない。そこは本人の自由であり、画一的なことはないんです。
田中 たとえ世の中の受けはよくなくても、(音声メディア)「Voicy」の荒木さんの番組や書評サイトには、熱狂的なファンが大勢いらっしゃいますね。荒木さんの学びの姿勢や価値観をおもしろいと思ってくれている人たちがそれだけいるということは、これからの時代の救いでもありますね。