視点の違いにより生まれる正反対の評価
三つの視点とは
本作への評価が二極化した理由を、筆者は次の三つの視点によるのではないかと考えた。
(1)本作の抽象的な世界観が、その人の感性に刺さるか否か。
特に映像に力が注がれた作品であり、その抽象的な数々の映像は、見る人によっては感性の深いところに刺さったであろうと思われる。しかしそれらの映像が、その人の感性にかすりもしなければ、垂れ流される悪夢を見せ続けられるような感覚になる。
(2)評価する姿勢が、「本作を宮﨑駿監督の作品群の中の一つとして見る」か「本作単体での理解を望む」か。
前者であれば“宮﨑駿の集大成”という見方に基づいて解釈、評価が生まれる。一方、「作品単体ごとで評価すべきだ」と考える人は、「本作は宮﨑駿が作った」というコンテクストを判断材料として持たないため、映画本編だけでは手がかり不足で理解不能・意味不明となり、「それは作品として成立していないよね」という主張となるのである。
(3)作品への考察は是か非か
本作は抽象的な作品なので、解釈の仕方が無数にある。自分の解釈を披露し、他人の解釈に耳を傾ける…創作物へのそうした考察は作品に触れた人の特権として、一つの楽しみとなりうる。しかし、「わざわざ考察しなければ理解もできない作品はエンターテインメントではない」と考える人もいる。さらに本作に『となりのトトロ』的な誰にでも伝わる普遍的なエンターテインメントを期待した人にとっては、もはや落胆しか残らない。
主に上記三つの視点が、相反する意見の二者を生み、それが評価の二極化につながったのではあるまいか。
最後に、参考までに筆者の個人的な感想である。筆者は「ジブリ信者」ではなく、かの作品群がほどほどに好きだったり好きでなかったりするくらいだが、本作はとてもおもしろかった。内容は訳がわからなかったが、劇場を出たときに、いい映画を見た後のあの充足感を覚えたのであった。
夢の中の物語の支離滅裂さや、壮絶な質感で迫ってきたり、あるいは荒涼・寂寞(せきばく)・空虚な気配漂う夢ならではの心象風景を、アニメという媒体を経てスクリーンに落とし込んだような迫力があった。他人の夢を詳細に観察したかのごとき不思議な感覚が、たいそう面白かったのである。