西洋文明を見て、とても勝ち目などないと悟った彼は、関門海峡で外国船を砲撃した長州藩に対して米英仏蘭が報復のため連合艦隊を派遣しようとしていることを知ると、急遽、イギリスから帰国。長州藩主を説得して戦闘を中止させようとするが、力及ばず、長州藩は大敗。伊藤は高杉晋作の通訳として和議を成立させる。

 だが、外国人を討つべきと攘夷に燃えていた一部の長州藩士たちは、伊藤のこうした振る舞いを深く恨み、以後、伊藤は「裏切り者」として敵視され、命を狙われるようになる。そんなある日、攘夷派の長州藩士に見つかり、伊藤は追われ、参拝客でにぎわう亀山八幡宮に逃げ込んだ。だが、相手は複数で追いかけてくる。すると、ごみ溜めの上に茣蓙を敷き、その上に座る少女がいた。とっさに伊藤は、少女をのかせると、ごみ溜めの中に身を隠して難を逃れた。

 しばらくして伊藤はごみ溜めから出ると、境内の茶屋で働くこの少女に礼を言った。それが未来の妻となる梅子との出会いであった、という(芸者の梅子を見初めた等、諸説ある)。

 少女はその後、下関で芸者「小梅」として売り出され、たちまち売れっ妓に。気が強く酒好きで、高杉にも贔屓にされたが、やがて伊藤と恋仲となる。伊藤には松下村塾の門弟にあたる入江九一の妹、すみ子という妻がいたが離婚して梅子と結婚するのである。

 維新後、伊藤は権力の階段を駆け上っていった。梅子も必死で努力し、彼を助けた。

 伊藤と知り合った時、梅子は読み書きがまったくできなかったという。そんな梅子を励まし、今からでも文字を覚えるようにと勧めたのは、伊藤だった。

 伊藤は梅子に手紙を出し、梅子も伊藤に手紙を返した。文字を覚えさせるために伊藤が考えた勉強法だった。伊藤は、梅子の上達に合わせて、初めはひらがなを多用し、少しずつ漢字を増やしていった。伊藤の細やかな気遣いと愛が感じられる。梅子は伊藤の期待に応え、次第に見事な手蹟となる。それだけでなく伊藤の妻としてふさわしい教養を身につけようと、梅子は和歌を佐々木信綱と下田歌子に、英語を津田梅子に学んだ。

 梅子は後、皇后と和歌のやり取りを書簡で交わすほどになる。生まれつきの才もあろうが、梅子がどれほど伊藤を思っていたかが偲(しの)ばれる。