努力ゼロ。「脳の外」のリソースを活用して、思考のパフォーマンスを高められる方法を一挙に羅列した科学ノンフィクション『脳の外で考える 最新科学でわかった思考力を研ぎ澄ます技法』(アニー・マーフィー・ポール著、松丸さとみ訳)。身体を使い、環境を変え、仲間と取り組むだけで、思考力や学力、記憶力、洞察力がアップするなど、最新科学が教える思考力を研ぎ澄ます方法を網羅しています。本書の翻訳を手がけた松丸さとみさんに、読みどころを聞きました(聞き手は本書編集者/日野なおみ、構成/中村綾)。

フリーランス必読! 家にこもって仕事をしていても一瞬でパフォーマンスが上がる方法を伝授Photo: Adobe Stock

作家・村上春樹もランニングを通して
「脳の外で考える」を実践していた

――松丸さんは、多様な幅広い翻訳書を手がけています。その中でも今回翻訳した『脳の外で考える』の特徴的なポイントはどこだと感じましたか。

松丸さとみさん(以下、松丸) 本書は、著者が思ったことを書いているのではなく、科学的なエビデンスをもとに書かれています。ですからその内容の信憑性が高い。また科学的な話だけではなく、「マインドフルネス」や「自然がいかに大切か」などについても、ソフトなアプローチで伝えています。読んですぐに実践できる、思考力を研ぎ澄ます技法がたくさんあり、読んですぐに役立つ一冊だと思います。

――翻訳する上で大変だったことはありますか。

松丸 本書の中には、実はすごく難しい言葉がたくさんあったんです。例えば本書の第1章「体で思考する」の中には「内受容感覚」という言葉が出てきます。これは私自身、初めて聞いた言葉でした。難しい言葉ばかりだと読むのが大変になるので、意識的に分かりやすい文章を心がけました。

 著者のアニー・マーフィー・ポールさんは科学ジャーナリストですから、普段は専門誌などに記事を書くことが多いのでしょう。ただ本書は一般の人に向けて書いた本になりますから、専門的な難しい言葉ではなく、一般的な表現を使いたいと思いました。また文字だけで説明されていてなかなかイメージが描けないものは、元になった論文や実験動画などに当たることもありました。そうしないと正しく翻訳できないので。

 本書には、具体的な最新研究結果の事例がたくさん盛りこまれています。最新の論文や研究結果を読者が簡単に咀嚼し、普段の生活にどう活かせばいいのかまで伝えて、行動に移させる。そんな実用的な本でもあると思います。同時に、誰かとお酒を飲みながら「こんな話、知ってる?」とつい語りたくなるような研究結果もたくさん盛りこまれています。

――本書は全9章構成ですが、松丸さんが印象に残った章はどこでしょうか。

フリーランス必読! 家にこもって仕事をしていても一瞬でパフォーマンスが上がる方法を伝授『脳の外で考える』を翻訳した松丸さとみさん(Photo:竹井俊晴)

松丸 私は第1章「感覚を使う」の中で書かれていた、「内受容感覚」の話が印象に残っています。内受容感覚とは、自分の体からのメッセージを感じる力のことを指します。第1章の冒頭では、成績の良い金融トレーダーと成績がふるわない金融トレーダーの違いについて書かれています。何が明暗を分けるのかというと、まさにこの内受容感覚の違いで、自分の体の声に敏感な金融トレーダーほど、業績もいい。学歴や経歴の違いではなく、内受容感覚に優れているかどうかによって成果に違いが出る、というのは印象的でした。

 最近はやりのマインドフルネスでも、よく「体の声に耳を傾けなさい」と言われます。ただ具体的に、それがどういったことなのかはピンときていませんでした。本書の翻訳を通して、それが「内受容感覚」であると知り、今までよりもさらに、自分の感覚に注意を向けるようになりました。自分が何か体からのメッセージを受け取って決断したときに、どういう結果になったのか。これを意識して内受容感覚を磨いていくのはおもしろいだろうなと思いました。

 もう一つ、印象的だったのが、第2章「動きを使う」で紹介されていた作家・村上春樹さんのランニングについての言及です。私もランニングが好きで、20km以上の長距離を走っていると頭が真っ白になる瞬間がありました。まるで瞑想と同じような感覚に陥っていったんです。本書でも、「かなり激しい運動を比較的長い時間行うと、クリエイティブな思考の助けとなる、ある種の変性意識状態を誘発する可能性もある」と書かれています。これを読んだときは、自分の中の点と点が結びついて、線になった瞬間でした。

スタンディングデスクを使えば
それだけで集中力が上がる

――日頃から感じていたものが何なのか、科学的に証明されたわけですね。

松丸 本書にはいろいろな「脳の外で考える」方法が紹介されていますが、中にはみなさんが、日ごろから無意識に実践していることも多いと思います。例えば、アイデアに煮詰まったから散歩をしてみるとか、発想を豊かにするために大きな紙やディスプレイを使ってみるとか、さらには同僚との協力関係を築くために一緒に食事をするとか……。

 こうした、私たちが日々何気なく「良かれ」と思ってやっていたことが、実は最新科学でも正しいことであると証明されている。それを知るとうれしくなりますよね。「書籍が完成したらみんなに伝えたい」と思った部分も実はたくさんありました。

 例えば、スタンディングデスクの活用について。私も含め、在宅で働く人は特に、通勤がないので、ベッドルームから出てきて、自分のデスクに座ったら仕事が始められます。家から一歩も出ることがなく、動くこともない。忙しくなるほど歩かなくなっていくわけです。

 でも、スタンディングデスクを使えば集中力が高まり、生産性が上がることが最新科学で明らかにされました。つまり煮詰まったときはデスクの天面を高くして、立って考えてみる。これくらいなら、すぐに実践できますよね。

 また第3章「ジェスチャーを使う」では、「書き言葉や話し言葉よりジェスチャーが学びを深める」ということが書かれています。たとえオンライン上のコミュニケーションでも、手の動きを聞き手に見せると、話し手のパフォーマンスが上がり、聞き手の注意力も上がるので、情報をより理論的に分かりやすく提示することができるわけです。私の周りにはオンライン上で教えている人が多いので、参考にしてもらいたいな、と思いました。

 どの章にも、その日から実践できるティップスがたくさん紹介されている。読者のみなさんに早く伝えたいな、と思いながら翻訳をしていました。

――確かに、簡単に導入できる方法がたくさん紹介されていますよね。

松丸 本書の第4章「自然環境を使う」の中では、40秒間の超短時間休憩で知的リソースを回復する方法も紹介されています。窓からコンクリートなどの人工的な建物の景色、もしくは壁を見ているよりも、緑の木々などの自然を眺めると思考力が回復する、と。

 もし窓がなかったり、窓の外に人工的な建物しか見えなかったりしたら、屋内に観葉植物を飾るといい、とも書かれています。これが興味深く、書籍には収録されていないのですが、著者が参考にした論文を読んで見ると、もし観葉植物がない場合でも、パソコンの画像に表示された自然の景色をみるだけでも、同じような効果があるのだそうです。これは活用しない手はありませんよね。

――第1部「体で思考する」と第2部「環境で思考する」が個人のパフォーマンスの高め方が中心なのに対して、第3部「人と思考する」では、ビジネスの世界の話も増えてきますよね。世界的な衣料品小売チェーン「ZARA(ザラ)」が成功した理由が徹底した摸倣にあったという話や、航空業界をまねして投薬ミスを減らした医療業界の話も印象的ですね。

フリーランス必読! 家にこもって仕事をしていても一瞬でパフォーマンスが上がる方法を伝授松丸さんは『脳の外で考える』翻訳中にスタンディングデスクを購入した

松丸 会社に勤めるビジネスパーソンには特に、第3部「人と思考する」が役に立ちそうですね。特に組織をまとめるリーダーには、参考になる部分が多いと思います。

 ほかにも第2部第5章「建物の空間を使う」の中には、「ここは自分の場所だ」と思えるとパフォーマンスが上がるという研究結果が紹介されています。最近のオフィスはフリーアドレス(社員が机を持たないスタイル)がはやっています。でもそれだと私物を置いておくことができないから、「自分の場所」だと思うことができなくて、人はパフォーマンスを上げることができなくなります。ほかにもムダのないオフィスだと生産性が下がるという研究結果もあります。

 つまり最近のおしゃれなオフィスは、実はその中で働く人にとってはあまり良くないのかもしれない。常識を覆すような最新の研究結果が紹介されており、興味深いなと感じました。

 確かに私も、時々仕事で、クライアントのオフィスを訪れ、その場所で翻訳作業をすることがあります。訪れたオフィスに用意されているのは自分専用のデスクではなく、複数の翻訳者が日ごとに入れ替わりで使用しているから私物を置いておくこともできません。するとやっぱり、何だか居心地が悪いんですよね。普段は「自分の場所」だと感じられるような自宅で仕事をしていることが多いからこそ、場所が思考を手助けしてくれてパフォーマンスが上がっていたんだと実感しました。

――書籍内の技法を実践することで、松丸さんの中で変わったことや、パフォーマンスが上がったことはありますか。

松丸 内受容感覚を意識するようになりましたね。これは日々の積み重ねだと思います。今まで感じていなかった人は、「こういう感覚が体の中にあったんだ」と発見することで、内受容感覚を強化していくことができる。もともと内受容感覚を知っている人は、さらに磨きをかけて進めていける。私自身も、内受容感覚に注目できたことはよかったと思います。パフォーマンスが上がったかどうかはこれからですね(笑)。

 本書には科学的な研究結果をもとにした新たな学びがとても多く詰まっています。だからこそ、人を教える先生や、お子さんがいる人、チームを率いるリーダーなど、幅広い立場の人にとって役に立つ内容がたくさん盛りこまれています。現状に悩んでいる人やパフォーマンスを上げたい人など、多くの人に読んでもらいたいなと思っています。