男性は一通り撮影を終えると席に座ったまま、「このバスのエンジン、『ニュー4HK1型』ですよね?」と話しかけてきた。エンジン音を聴いただけでエンジンの型を見極めるとはなかなかのマニアである。

 私たち運転士は緊急時をのぞいて、走行中はお客に話しかけられても応えない決まりになっている。安全運転のためだ。私は「走行中なので少々お待ちください」と言って、お茶を濁した。

 その後も、男性は、「このバスの降車ボタンはオージ製だよな、きっと。で、放送機器の機材はクラリオン製のCA-8000型だろうなあ……」などとぶつぶつつぶやいている。私に話しかけているのか、ひとり言なのかわからない。申し訳ないが、無視させてもらおう。

 バスオタクの中には、バスの部品メーカーやその機能などのマニアックな質問を運転士にしてくる人もいる。バスが信号で停車した折にわかる範囲で答えることもあるが、話が長引く傾向にあるため、面倒な話題になりそうだと私は早く信号が青になってくれないかとヤキモキする。

 バスオタクの彼は、私との「バスオタトーク」が盛り上がりに欠けたためか、またしてもカメラでカシャカシャやりだした。そしてシャッターの数と同じくらいゴホッゴホッ!と咳をするのである。

書影『バスドライバーのろのろ日記』(フォレスト出版)『バスドライバーのろのろ日記』(三五館シンシャ)
須畑寅夫 著

 もともと、この席や運転席の後ろの席は、咳をする人がよく座る。理由を想像するに、後方の席でゴホゴホやっていると、ほかの乗客に白い目で見られるため、できるだけ人に迷惑をかけないようにという配慮なのだろう。その結果、被害をこうむるのは運転士だけ、というオチである。

 この出来事はコロナ禍以前のこととはいえ、私は彼の咳が気になったので、運転席の窓をさりげなく開け、さらに運転席の上部にある換気扇を回して対応した。

 このカシャカシャ&ゴホッゴホッ攻撃は終点の横浜駅に到着するまで続いた。

 左側の一番前の席には、「お子さまやお年寄りの方」に加えて、「カシャカシャ・ゴホッゴホッはご遠慮ください」の貼り紙もしてほしいものである。