失礼な話だが、私はその時、軍の司令官がガソリンを横流しして、それで儲けた金を自分のポケットに入れたのだろうと推測していた。しかしその予測は全く外れた。ガソリンはただで私たちに与えられたのであった。
力の弱い者への慈悲
「ここの部隊の偉い人の家が、たまたまカイロの郊外で僕の住んでる家と同じ町だったんです。その話が出たから、じゃあ兄弟のようなもんじゃないか、と言ったんです。そしたらお金はどうしてもいらない、と言うんです」
アラブは徹底した力の社会である。人間は皆平等、などという発想はない。主人は主人、雇い人は雇い人。金持ちは金持ち、貧乏人は貧乏人。しかしそれだけに、力の弱い者には、また誰でもが慈悲の心を示す。
「顔」を立てるということも、アラブ社会では非常に大切なことである。人前で叱ったり、相手を徹底してやっつけた形で争いを収束してはいけない、と言う。「勝者もなく、敗者もなく(no victor, no vanquished)」という形でことを収めなくてはいけない。
豚肉を食べないこと(豚肉を使っていることを示す絵や表示のあるインスタント・ラーメンも)、酒を飲まないこと、婦人に話しかけたり写真を撮ったりしないこと、相手の宗教的行事や習慣を重んじること、その土地にいる限り、外国人でも女性が肌(手足)を露(あらわ)にしないこと、などはイスラムでも戒律のもっとも厳しいサウジアラビアなどでは基本的に守らなければならないことである。外人だからいいだろう、ということはない。
日本人がイラクで人質になったことがあったが、その交渉の最適任者はほんとうは天皇陛下か皇太子殿下でいらっしゃる。アラブの為政者たちは、常に大物しか相手にしない。しかしそれが不可能というのであれば、先に述べた条件に少しでも合う人を探さなければならないことになる。つまりその人は日本が持つ人間的切り札の中で一番世界に知られた大物であり、神を信じ(神を信じない人は人間ではないから)、友好的状況の中でサダム・フセインに会ったことがある人であることが望ましい。知らない人がいきなり行っても効果は薄いだろう。
女性の政治家を交渉に向けようという話もあるというのだが、それはおよそアラブ社会を知らない人の発想に思える。なぜならアラブはまた徹底した男性社会である。もちろん現代では、能力のある女性が社会で働いている国も多いが、それでも、彼らにとって重要である「顔」も、女にはないことになっているくらいだから、女が交渉の場に出てきても、話は進展しない。
アラブの格言「敵には一度、友には常に気をつけよ」
今まで日本はオイル・ショックの危機が喉元を過ぎると、すぐアラブを厚く遇することを忘れた。しかしアラブはそのような浅はかな、ご都合主義の国や人をまたはっきりと侮辱する。エネルギーの問題に関してアラブ諸国の力を借りなければならないのなら、日本は常にアラブに関して(金を出すだけではない)古い誠実な友でい続けなくてはならないのである。アラブの格言の中には「敵には一度、友には常に気をつけよ」というのがあるほど、彼らには冷めたところもあるのだが、一方で砂漠で敵味方共に生き延びるには、お互いに理性ある保護なしには不可能なことも彼らは知っているのである。
この際、私たちはやはりもっと彼らの心情を知る必要がある。「皆が平和を望めばそうなるのに」式の甘い考え方が、世界中で道徳的にも通ると信じ切っているのが日本人なのである。
新聞社も、その手でアラブ問題を考える投書を平気で投書欄に採用する。このような新聞社の無知が続く限り、日本はアラブとのやや安定した関係を維持することもむずかしい。 アラブはもちろん、西欧にもアメリカにも「真理のため、国家と国民の安全のためには、人は死なねばならぬ時もある。そしてその死は栄光に包まれたものである」と考える人はいくらでもいる。
善悪ではなく、どちらが変わっているかと考えると、考え方が孤立しているのは日本人の方なのである。
タイトル:曽根綾子→曽野綾子
(2023年9月27日17:07 ダイヤモンド編集部)








